宇都出ブックセンター

本が大好きな宇都出雅巳(まさ)が、本の紹介をしています。
「依存する相手が増えるとき、人はより自立する」(『生きる技法』 安冨歩著)
安冨 歩
青灯社
¥ 1,575
(2011-12-23)

JUGEMテーマ:読書

  もう5年近く前になりますが、かなりの衝撃というか「腹落ち感」のあった本があります。

  『ハラスメントは連鎖する−−「しつけ」・「教育」という呪縛』
   

 その後、安冨歩さんに大変関心を持ち、その著作は手当たり次第読んでいました。

 たとえば、『複雑さを生きる』

 自分の出しているメルマガでも4年前に出版された『生きるための経済学』(NHK出版)
  を紹介しました。

   →  「選択の自由は行使不能な自由である」
      

   →  「心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」
      
 最近は安冨さんの本を読んでいなかったのですが、先日、新聞広告でとても刺激的なタイトルの本を出版されており、びっくりしました。

   『原発危機と「東大話法」』(明石書店)

さっそく買って読みましたが、その際に見つけたのが『生きる技法』です。

本書はタイトルどおり、

「生きるためにはどうしたらいいのか?」

という問いのもと、安冨さんが自らの人生経験と読書から導き出した技法(命題)をまとめたものです。

取り上げられているテーマは8つ。

    自立・友だち・愛・貨幣・自由・夢の実現・自己嫌悪・成長


どれもこれまでの思い込み、視点をひっくり返し、打ち砕く内容です。

まだ消化できていませんが、最初のテーマ「自立」の内容とそこから思い出したことなどを書いてみます。

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 15:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
瞬間を生きる哲学−−<今ここ>に佇む技法

プロローグ 瞬間という聖地」の冒頭で、著者は「この本で明らかにしたいこと」として次のように述べています。

いまこの瞬間のなかにすべてがある。少なくとも、大切なものは全部でそろっている。

人生の意味も美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも。

だから瞬間を生きよう。先のことを想わず、今ここのかがやきのなかにいよう。

 そして、続けて、本書の内容について次のように書いています。

いかがわしい。調子よすぎる。そう。いまは思われるかもしれません。ですが以下、この本をお読みいただけば、どなたも納得できる簡素な事実を、のべているまでのことです。
 なぜそういえるのか。たとえそうだとして、なぜふだんぼくたちは、そんな瞬間のかがやきを目撃することなく生きてしまうのか。瞬間を生きるには、どうしたらよいのか。そもそも、瞬間(いまここ)とはどういう時なのか。そんなことを、どなたも実感できる言葉で書きしるすこと。それが、この本の具体的な内容を、かたちづくっています。

 まさにここに書かれているように、本書は、瞬間についていろいろな角度から、そしていろいろな素材を用いて光を当てていきます。

 これでもか、これでもかと「瞬間」についての記述が続きます。私にとって、それはあまりにもまぶしく、ちょっと目があけられないほどでした。そのためか、すぐには本書の内容はしみこんできませんでした。この本を何回、何十回となく読み返し、瞬間の光のまぶしさに慣れてようやく、落ち着いて本書を読めるようになった気がします。

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 10:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
「自分探し」・「セミナーおたく」の解毒剤、そして免疫剤にもなる本

私は20代から30代半ばまで、いわゆる「セミナーおたく」「ワークショップおたく」でした。 

心理系を中心にいろいろなセミナー・ワークショップに参加することが何よりも好きだったのです。その中には速読や願望実現など能力開発系もありましたが、多くは「自分探し」「自己啓発」にかかわるものでした。

ただし、宗教系やいわゆる自己啓発セミナーと呼ばれる、勧誘が義務となるようなセミナー・ワークショップは注意深く避けていました。

本書は、人生に行き詰まりを感じ始めていた26歳の女性が、自己啓発セミナーに友人の強い勧めで参加したのをきっかけに、さまざまなセミナー、ワークショップに参加した経験を、まとめたものです。

最初の自己啓発セミナー(本書では「自己洞察セミナー」と表現されていますが、内容からして、日本ではestやライフスプリングなどとして知られているものに近いと思います)に始まり、紹介されているセミナー・ワークショップの数は14

太極拳や占星術、腸内洗浄療法に前世療法など多岐にわたります。また、私も15年ほど前に出会ってかなりはまっていたNLP(神経言語プログラミング)のセミナーの体験も紹介されています。

日本でも自己啓発セミナーやそれに類するセミナー・ワークショップの体験本はいくつか出ています。ただ、それらの多くが暴露本の性格があり、なんとも暗い印象なのですが、本書はなんとも明るいのです。

自分自身からも一歩距離を置いて冷静に観察はしているのですが、冷めた意識ではなく、セミナーやワークショップで感動し、泣き、笑い、怒る著者の姿が描かれています。

といって、紹介しているセミナーを一方的に賛美したりするものでもなく、あくまでも、一歩距離を置きながら、面白おかしく書いてくれているのです。

「セミナー・ワークショップおたく」になってはまってしまっている人が、そんな自分を見つめなおすきっかけになってくれる本です。

また、「自分探し」、「スピリチュアル系」のセミナー・ワークショップを気嫌いしている人にとっても、気楽に読める本です。

何かの理論を学ぶのではなく、本書で紹介されているようなセミナー・ワークショップは自分の心と身体をある意味差し出して扱うワークショップは、かなり激しい体験になります。

だからこそ毀誉褒貶も激しくなります。

はまるのでもなく、毛嫌いするのでもなく、ほどよい距離感を保つためには、本書のような本を解毒剤、免疫剤として使うのはいいのではないでしょうか。

元セミナー・ワークショップおたくであり、自己啓発セミナーに近いところにあるNLPやコーチングに携わってきている人間である私からお勧めします。

さて、本書の中から著者が数多くのセミナー・ワークショップの中で学んだことを一つ紹介して終わりにしましょう。

この学びは、NLP(神経言語プログラミング)をその創始者の一人であるリチャード・バンドラー氏に学んだ1週間セミナーで聞いたという言葉です。

著者は「パンドラーの次の言葉を聞けただけでも、一週間セミナーに通った甲斐はあった」と書いています。

「学びについて話しましょう。生涯にわたる学びの秘訣とは、他人と自分を比較するのをやめることです。競争相手は自分しかいない。毎年、どうしたら学びの能力を二倍にできるかを問い、自分の学習プロセスを注意深く観察しなさい。何を知りたいのか探りなさい。知りたいことがわかったら、本を読んではいけない。表に出て探索するのです。」

結論はセミナーやワークショップに参加しなくても、学びはできるということのようです(爆!)

| 宇都出雅巳 | セラピー | 14:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
『悟りは3秒あればいい』 大事なのは「受け入れること」:小林正観さんのご冥福をお祈りして

この本の著者である小林正観さんが3日前の10月12日に亡くなられたそうです。

全国を講演されて回られており、たくさんの本を出版されていたので、ご存知の方もいるかもしれません。

私は、もう5年以上前になりますが、
メルマガ読者の方から「ぜひ見てください」と講演ビデオをいただいて見たことがあります。内容はほとんど覚えていませんが、ひょうひょうとした雰囲気だけは今も残っています。

先週、たまたま図書館でこの本のタイトル「悟りは3秒あればいい」が目にとまり、「え? たった3秒かよ」と思わず、手にとって読んでしまいました。。。
(具体的な数値を出したタイトルというのは、やはり強力ですね。「1冊10分」「一晩5冊」など、速読本のタイトルがそうなっていくのも、売ることを考えればまあうなずけます)

タイトルの「悟りは3秒あればいい」の内容は、まえがきに書かれており、まさに「3秒で読める」シンプルな内容でした。

正観さんのいう「悟り」とは…

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| 宇都出雅巳 | 宗教 | 13:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
「葛藤していることはむしろ、健康な状態なのです」

最初に書いておくと、本書はタイトルにある「「普通がいい」という病」について論じた本ではありません。「「普通がいい」という病」」については、「はじめに」でほぼ言い尽くされている感があります。

「はじめに」はこう始まっています。

私たちはみんな、ほかの人とは違う「角(つの)」を持って生まれてきました。「角」とは、自分が自分であることのシンボルであり、自分が生まれ持った宝、つまり生来の資質のことです。

この「角」は、何しろひときわ目立ちますから、他人は真っ先にその「角」のことを話題にしてきます。動物としての習性からでしょうか、集団の中で「角」のためにつつかれたり、冷やかされたりして、周囲から格好の餌食にされてしまうこともあります。そんなことが繰り返されますと、いつの間にか「この『角』があるから生きづらいんだ」と思うようになる人も出てきます。

自分が自分らしくあること、その大切な中心である「角」、それを自分自身で憎み、邪魔にして隠しながら生きるようになってしまうと、生きること自体が色あせ始め、無意味なものに感じられるようになってきます。生きるエネルギーは枯渇し、すべてが立ち行かなくなってしまいます。

この「角」がなくなった状態が「普通」というわけです。

「角」の切除を施された人たちは、初めに感じていたはずの窮屈さも忘れ、「普通」であることをみずから望むようになり、周囲の人間や子どもたちにも同じ価値観を求めはじめます。「『角』の切除をして普通になることが大人になることなのだ」という洗脳が、こうして拡大していきます。

「自分らしく生きる」ということもよく言われるようになりましたが、この「自分らしく生きる」ということすら、「自分らしく生きるとはどういうことなんだろう?」と周りを見て考える、なんていう「自分らしく」ないことが起こってきます。

 では、どうやってわれわれは生きていったらいいんでしょう? まあ、そんなふうに答えを求めること自体が、何かずれを生む気もしますが、本書は、著者が臨床の場面で感じたことがあれこれと生きていくヒントとして述べられています。

それは、いわゆる常識といいますか「普通」と思われていることと、ちょっと違っていて、なかなか新鮮です。

私が印象に残ったことをいくつか紹介したいと思います。

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| 宇都出雅巳 | セラピー | 10:56 | comments(0) | trackbacks(1) |
ケン・ウィルバー『万物の歴史』(A Brief History of Everything)
ケン ウィルバー
春秋社
¥ 4,200
(2009-09)

 トランスパーソナル心理学の理論家、ケン・ウィルバーが対話形式で、その理論をわかりやすく解説した本。


ウィルバーの基本的なフレームワークである「四象限」(個的ー集合的 外面的ー内面的の組み合わせ)、そこから出てくる「ビッグスリー」(私・私たち・それ、美・善・真)を軸に、タイトルにあるように「万物の歴史」、万物の動きが語られます。

その根底にあるのが、アーサー・ケストラーが提唱した「ホロン」という概念。

素粒子にしても原子にしても、細胞にしても、個人にしても、会社にしても、地球にしても、これを「ホロン」からなるものとしてします。

この「ホロン」。

その本質は、全体でありながら、かつ、より大きなものの部分であるということ。
あらゆるホロンは一個の全体としてそれ自体のエージェンシー(独立性)を持つだけでなく、また、他の全体の部分としてのコミュニオン(交流)によって適応しなければならない。もしどちらかを怠ると、つまりエージェンシー(独立性)かコミュニオン(交流)のいずれかを怠る、あっさりと消されてしまう。存在しなくなるのです。
この考えは、私が大好きなフレームワークである「ニューロロジカルレベル」とも重なってきます。(ニューロロジカルレベルはNLPユニバーシティのロバートディルツ氏が開発したモデル)

 ちなみに、こちら↓は私がニューロロジカルレベルのワークを解説した動画です。
 http://youtu.be/u24KlnG0p24

われわれはついつい、一つのレベルにとどまり、停滞しがちになりますが、この「ホロン」や「ニューロロジカルレベル」を頼りに、より大きなもの、より小さいものに意識を向けて、レベルを動かすことで、いろいろなものが見え、気づくことが多くなります。

なんだか、ウィルバーの「万物の歴史」からはなれましたが、このあたりをベースに、だんだんと「四象限」や「ビッグスリー」などを意識していくと、この分厚い本もなじんで理解できるように思います。

壮大な万物の歴史を描いた本書の中で、自分の中で印象に残ったのは、人間の歴史の中で書かれていた「男性の家族化」というもの。
狩猟的社会が最初に出現したのは、百万年から四十万年前までの間のいつかです。ハーバーマスが指摘するように、最初の人間をサルおよび原人から分離したのは、経済でも、あるいは道具でさえもなく、むしろ父の役割の発明、つまりハーバーマスが「男性の家族化」と呼ぶものです。生産的狩猟と生殖的家族の両者に参加することによって、父は二つの価値領域に架橋し、特に人類の進化の始まりを記したのです。妊娠した女性は狩猟に加わらなかったので、この仕事は好むと好まざるとにかかわらず(ほとんど好まなかった、と私は推測していますが)、男性の務めになったのです。
5歳と1歳の子どもを持つ父親なので、この部分が一番印象に残ったのでした。。。自分が果たしている父親という役割、二つの価値領域に架橋する、そんな人生の歴史に思いをはせると、なんとも考えさせられたいのでした。。
| 宇都出雅巳 | - | 08:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
「人生、生きようよ」−−『演劇やろうよ! 指導者篇』を読んで

「これはもったいない」

読みながらそう思いました。

本書には長年、小学校や中学校などで演劇指導に携わってきた著者の生々しい経験と、そこからの知恵がたくさん詰まっています。

演劇指導という範疇は大きく超えて、子どもへのかかわり方、チームのまとめ方、プロジェクトの進め方、さらには人とのコミュニケーション全般にわたって、生かせる内容です。

演劇という人間や生きることの本質にかかわるものだからこそ、その枠を超えて普遍的な内容に昇華されたのだとでしょう。

にもかかわらず、タイトルから考えて、演劇に興味のある人しかなかなか読んでもらえない可能性大です。

なので、

「これはもったいない」

と思ったわけです。

わたしたち一人ひとりの人生は、いわば演劇です。

だれもが自分の人生という舞台の主人公であり、かつ、ほかのだれかの人生とう舞台の脇役、登場人物です。

さて、わたしたちはこのかけがえのない舞台、演劇をイキイキと演じているでしょうか?

どんなに落ち込んだ人生でもワクワクした喜びの人生でも構いません、

自分の五感をフルに使って、イキイキと生きているでしょうか?

本書の中で、著者のかめおかさんが演技指導の9割を占めるほど大事なポイントとして挙げられていることがあります。

それは……

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| 宇都出雅巳 | - | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
私の9冊目の本・『どんな本でも大量に読める「速読」の本』の目次とあとがきです
 とうとう、「速読」の本を書いてしまいました。。。

今から25年ほど前、大学時代に速読と出会って以来、速読に夢を抱き、格闘し続けてきましたが、その体験、そこからの結論をまとめました。

これまでに、『速読勉強術』や『スピード読書術』といった本は書いてきましたが、私自身は速読教室や速読講座を主宰していないこともあり、速読を正面から取り上げて書いてはきませんでした。

『速読勉強術』 で紹介した高速大量回転法にしても、あくまで「速読体験から生まれた訓練不要の勉強法」という位置づけでした。

しかし、

  ● 高速大量回転法を速読法として受け止める人が多かったこと

  ● あまりにも幻想を振りまいている現状の速読本・速読教室に憤りを感じたこと

から、速読本を書くことにしたのです。


今回、あらためて速読を振り返り、本にしてみて、だれにでもわかる形で、速読というとても有効な読み方についてまとめることができました。


 ● 今まで速読を胡散くさいと思って近づかなかった人

 ● 速読本や速読講座で挑戦したものの、挫折した人

にとって、


 「速読ってそういうことなんだ!」

と納得してもらって、


 「よし、速読を使ってみよう!」

と思ってもらえる本になったのではないかと自負しています。


さて、どんな本なのか、目次とあとがきを紹介します。(まえがきは、ちょっと簡単な実験をしてもらう形になっているので、実際の本で読んでください)


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| 宇都出雅巳 | 速読 | 07:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
広井良典さんの最新作『創造的福祉社会』
 1年半ほど前、本書の著者である広井良典さん本は集中的にこのブログで紹介しました。

  → http://utsude.jugem.cc/?cid=17

本書はその広井さんの最新刊です。

これまでの広井さんの著書と同様、これまでの本で書かれていたことを繰り返しつつ、まとめながら、さらにそこに新たな主張が加えられるという構成になっています。


今回の本の特徴としてすぐに目に付くのが、タイトルにある「創造的」という言葉でしょう。

広井さんも書かれていますが、「創造的」という言葉と、「福祉社会」という言葉は、スッと結びつかないかもしれません。

ただし、そこにこれまでの「創造的」ということを見直そうという思いが込められています。
「創造性というと経済競争力や技術革新といったことと連動して考えられることが多いが、発想を根本から変えてみると、これまでのような「成長・拡大」の時代とは、実は市場化・産業化(工業化)・金融化といった「一つの大きなベクトル」に人々が拘束・支配され、その枠組みの中で物を考え行動することを余儀なくされていた時代と言えるのではないだろうか。だとすると、私たちがこれから迎えつつある市場経済の呈上かの時代とは、そうした「一つの大きなベクトル」や”義務としての経済成長”から人々が解放され、真の意味での各人の「創造性」が発揮され開花していく社会としてとらえられるのではないだろうか。
「創造的」や「創造性」という言葉は、無条件に善だと思われがちですが、そこにはいろいろな色がついていることを自覚しながら使うことはほんと大事だと思います。

完全に無色透明になることはできませんし、そこにはいい・悪いはないのですが、常に気をつけていないと、社会の流れに絡めとられていることはよくあります。次のような記述にも「ハッ」と自分自身が囚われていたことに気づく人もいるのではないでしょうか?
以上のようなことを含め、こうした若い世代のローカル志向を、”内向きになった”とか”外に出ていく覇気がない”といった形で批判する議論が多いように思うが、それは全く的外れな意見だと私は思う。海外に”進出”していくのが絶対的な価値のように考え、また「”欧米”=進んでいる、日本やアジア=遅れている」といった固定的な観念のもとで猪突猛進してきた結果が、現在の日本における地域の疲弊であり空洞化ではなかったのか。むしろ若い世代のローカル志向は、そうした日本や地域社会を”救う”萌芽的な動きと見るべきであり、そうした動きへの様々なサポートや支援のシステムこそが強く求められている。
さらに「生産性」という言葉の再定義にも進んでいきますが、これについては、『グローバル定常型社会』にも述べられていて、このブログでも紹介したのでそちらを読んでみて下さい。

  → 『グローバル定常型社会』

本書での新しい展開は、第3章に集約されているように感じました。

第3章のタイトルは「進化と福祉社会−−人間性とコミュニティの進化」

その最初の「はじめに」には、

 「人間についての探究」と「社会に関する考察」をつなぐ、とあります。

こういった視点、発想が、私が広井さんの著作に引かれるところであります。

ミクロとマクロの往復運動ともいえるでしょうか。私自身もそういったことが大事だと思いますので。

広井さんの本は構成が非常にスッキリしていて明確なので読みやすいのですが、本書も章立てもスッキリし、各章ごとにその柱がかかれています。

そして、この第3章の柱は次の3つです。







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| 宇都出雅巳 | 広井良典 | 10:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
大空のサムライ−−かえらざる零戦隊
 太平洋戦争において、零戦に乗り、撃墜王としてその名をとどろかせた坂井三郎氏の空戦記録。

 本書は数多くの国で翻訳出版され、ベストセラーになったとききます。

 読んでみて、その明快、具体的な記述と、そこに流れるカラッとした空気、そして底流にある人間に対する愛情に、ぐいぐいと引き込まれ読んでしまいました。

 そこには多くの死が描かれているわけですが、タイトルにある「サムライ」という言葉にもあるとおり、死を覚悟した人の潔さというか明るさがあふれています。

 当時の空戦は、まるで長篠の戦い以前の騎馬武者の一騎打ちのような性格があったからかもしれません。

 ただ、そこには死を賛美するようなことは全く描かれていません。

 死と隣り合わせであるがゆえに、生きることの尊さ、人間や仲間との友情の素晴らしさが描かれています。

 昭和19年7月、特攻の命令を受けて出撃する際の心情が次のように書かれています。
俺の戦闘機乗りとしての生活も、いよいよきょうで最後か。俺の28年の生涯もいよいよきょうで終わりか、と思えば、さすがに、何かまだやりたりなかったことが残っているような気がした。
 長い長い戦場生活を通じて、そうとう激しい戦争の場数を踏んできているつもりだが、こんなふうに『死ね』と言われると、さすがに心にこたえる。まだ俺は人間ができていないのだろうか。
 空戦で、敵と相対し夢中になって戦っているときはそうでもないが、こんなふうに平静なうちに、これから覚悟して出ていくということになると、やはりちょっと待ってくれ、と言いたくなるものだな、と思った。
 この心理は、自分ながら奇妙なものだと思った。
この出撃を行ったのは後に日米の激烈な陸戦が行われた硫黄島の飛行場。運悪くか、運よくか、敵の機動部隊を見失った坂井氏は硫黄島になんとか帰り着きます。

その後、硫黄島は激しい空襲、艦砲射撃で乗るべき飛行機もすべてなくなり、坂井氏をはじめとする飛行機乗りは本土に帰ることになり、それが、本書の最後になります。

そこで書かれている情景は、阪神淡路大震災や、今回の震災をはじめ、多くのところでのギャップ、壁に共通しているように感じます。 かなり長いですが、引用します。
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| 宇都出雅巳 | - | 08:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
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