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宇都出ブックセンター本が大好きな宇都出雅巳(まさ)が、本の紹介をしています。
2011.08.19 Friday
原発社会からの離脱−−自然エネルギー共同体自治に向けて
章構成を書いてみますと…… まえがきーー「原発をどうするか」から「原発をやめられない社会をどうするか」へ 宮台真司 1章 それでも日本人は原発を選んだ 2章 変わらない社会、変わる現実 3章 80年代のニッポン「原子力ムラ」探訪 4章 欧州の自然エネルギー事情 5章 2000年と2004年と政権交代後に何が起こったか 6章 自然エネルギーと「共同体自治」 7章 すでにはじまっている「実践」 あとがきーーフクシマ後の「焼け跡」からの一歩 サブタイトルの「自然エネルギーと共同体自治に向けて」とあるように、自然エネルギーの活用と共同体自治ということがセットとなって語られています。 共同体自治とは、行政に対して「任せる政治」ではなく「引き受ける政治」のこと。 「もっとちゃんとやれよ」というのではなく、「自分たちでやります」ということです。 エネルギーでいえば、東電を含め国に対して、「ちゃんとやれよ」ではなく、「自分たちでやります」と引き受けること。そしてそれを可能にするのが自然エネルギーでという位置づけです。 飯田さんは、京大の原子核工学の専攻。卒業後は神戸製鋼に就職し、原子力関係の研究に携わります。また、電力中央研究所にも出向し、まさに「原子力ムラ」の真ん中で仕事をした経験を持ちます。 このため、対談では非常に具体的に生々しく、原子力ムラの様子が語られます。 私が非常に興味深く思ったのは、このブログでも何度も取り上げている高木仁三郎さんとの立ち位置の違い。 高木さんが反原発に身を置いて、電力会社や国といった原子力推進派と対峙したのに対し、飯田さんは、反原発という立場でありながらも、原子力推進派と協力すべきところは協力するという反対派と推進派の真ん中に身を置いていました。 飯田さんが高木さんについて述べている箇所を引用すると…… 2011.05.16 Monday
宮澤賢治と高木仁三郎さん その2
先日、高木仁三郎さんの『宮澤賢治をめぐる冒険』を紹介しました。 → 「宮澤賢治と高木仁三郎さん」 その記事にいただいたコメントの中で、科学者と実験に関するものがありました。 実は、それに少し絡むことを高木さん自身が『宮澤賢治をめぐる冒険』の中で書かれており、私も自分のメルマガで紹介していたので、そちらの内容をこちらにも転載しておきます。 前回の記事と重複する箇所もありますが、ご容赦ください。 以下、メルマガからの転載です。 2011.05.11 Wednesday
宮澤賢治と高木仁三郎さん
3.11の大震災で、福島第一原発の事故が起きて以来、高木仁三郎さんのことがずっと頭から離れません。
その中で、高木さんとともに反原発運動に協力していた安斎育郎さんという学者の方のコメントが載っていました。 2011.03.22 Tuesday
原発事故はなぜくりかえすのか
JUGEMテーマ:読書 毎日、福島第一原発のニュースが報じられています。 「原発というのはこういう仕組みなのか」と、私も含めて初めて知った方も多いでしょう。 今回の原発事故の原因は、地震だけでなく想定外の大津波が襲って、電源が喪失したことだとされています。 いまこの瞬間も原発現場で必死の努力が続けられている段階で、また、今後の原発がどうなるかもわからない中、気が早い話ですが、今回の事故の分析から、今後さらなる安全対策が行われるでしょう。 非常用の発電機を高台に移す、バックアップ用にもう一台設置する、バッテリーをもっと増やすなど……。 そして、原発を推進・管理してきた東京電力や国への責任追及も行われるでしょう。 しかし、それで将来の事故が防げるのか? 本書は今から10年以上前、1999年9月に茨城県東海村のJCO社・ウラン加工施設で起きた事故、それを受けての分析・対策を受けて、書かれたものです。 著者は「市民科学者」として反原発・脱原発運動のリーダーであった高木仁三郎さん。このブログでは、『市民科学者として生きる』という本を以前、紹介しました。 → http://utsude.jugem.cc/?eid=101 本書は「原発事故はなぜくりかえすのか」という問いのもと、原発の安全について考えた本です。 しかし、今、報道でよく出てくるような冷却システムや非常用電源などの話といった原発の具体的な構造や仕組みなどは書かれていません。 原発の歴史、それを取り巻く組織・環境、技術に内在する思想に踏み込んで語っています。 そして高木さんがたどりついたのが、「パッシビズム」という考えです。 技術的な極致はパッシビズということだと私は思うのです。つまり、ことさらに外から何か巨大なシステムや大動力を導入したり、あるいは人為的な介入をやって危篤状態を乗り切ろうとしている限りにおいては、いくら安全第一をモットーとしても、やはり人間のすることですから、うまく働かなければ人為ミスが起こって必ず事故につながるので、大事故の可能性は残ってしまいます。あらゆる場合に自然の法則やおのずと働いているさまざまな原理によって、人為的な介入がなくても、事故がおさまるようなシステム、これを基本に置いた設計がなされるべきでしょう。重力によって水が高いところから低いところに流れるとか、最も高いところから低いところに伝わるとか、そういった自然法則に十分に依拠したようなシステム、これは私はある人の考えを借りてパッシビズムの技術と読んでいますけれども、それならばうまくいくかもしれないと思うのです。現在の福島第一原発の状況をみると、本当にそうだなあとうなづかされます。 「今さら言われても……」「もう遅い……」「今はまず火消ししないと」と思われるでしょうが、忘れないうちに本書を紹介しておきます。 今、原発現場では、先日の東京消防庁の記者会見にもあったように、命をかけた活動が行われています。 本書も、高木さんが死の直前に、がんとの闘病の苦しい中、口述筆記されたものです。 その努力を無にせずに、生かすためにも、表面的な安全対策、責任追及に終わらずに、本書も参考に深く考えていきたいです。 2007.09.14 Friday
市民科学者として生きる (岩波新書)
昔、出版社で記者をやっているときもそうでしたが、こういうときはついつい、書いている原稿とは全く関係のない本についつい手が伸びてしまいます。 ふと、久々に、私が尊敬する人の一人である高木仁三郎さんの事実上の遺書・『市民科学者として生きる』を手にとって読んでいました。この本を読むのはもう50回めぐらいになるでしょう。いつも勇気付けられ、励まされます。 高木仁三郎さんを知らない人も多いと思うので、昔、メルマガ「週刊 宇都出マガジン」に書いた文章を最後に載せておくので読んで見てください。 |
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