宇都出ブックセンター

本が大好きな宇都出雅巳(まさ)が、本の紹介をしています。
「人生のアルバムに貼る写真というのはほとんど、「はい、チーズ」のポジフィルムだ」
岡部 明美
角川学芸出版
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(2008-03)

 このブログでもその著書『構造構成主義とは何か』を紹介した「人を助けるすんごい仕組み」西條剛央さんが、ツイッターの中で「天才的な指導者」なんていう言葉を使って紹介されていたので、興味を持って読んでみました。

この本は、バリバリのキャリアウーマンだった著者が、出産、大病をきっかけに、身体、そして心に目覚め、東洋医学、ホリスティック医学、さらには、心理セラピーにのめりこみ、さまざまな気付きを得ていく様子が書かれています。

自分は大病はしていませんが、吃音や近眼、アトピーをなんとかしたいという思いから、高校生ごろから、心理療法や玄米菜食などの東洋医学にのめりこんだ経験があるので、昔を思い出すように読みました。

著者はワークショップ・トレーナー、カウンセラーとして活動されているそうで、私もコーチ、研修講師と、似たような仕事をしています。

おそらく、コーチやカウンセラーになられている人の多くが、著者のように大病、もしくはそこまではいかなくても何か人生の困難に直面し、自分を見つめなおすなかで、コーチングやカウンセリングを経験し、自らがそれを行う立場になっているでしょう。

ということで、本書の内容は自分自身が経験したことも多く、さらっと読んでしまいました。

その中で、なんだかグッときたのが、だれもが持っている「写真アルバム」最近はデジカメなので少なくなっているかもしれませんが)についての話。

著者は母親から愛されていないのではとずっと思っていたのですが、思い切ってそれを母親に打ち明けたところ、実は母親のほうも、娘の著者から愛されていないのではと思っていたということがわかり、二人でおお泣きしたという話のあとに書いてあったものです。

ちょっと引用させてもらうと

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| 宇都出雅巳 | セラピー | 13:27 | comments(0) | trackbacks(1) |
「自分探し」・「セミナーおたく」の解毒剤、そして免疫剤にもなる本

私は20代から30代半ばまで、いわゆる「セミナーおたく」「ワークショップおたく」でした。 

心理系を中心にいろいろなセミナー・ワークショップに参加することが何よりも好きだったのです。その中には速読や願望実現など能力開発系もありましたが、多くは「自分探し」「自己啓発」にかかわるものでした。

ただし、宗教系やいわゆる自己啓発セミナーと呼ばれる、勧誘が義務となるようなセミナー・ワークショップは注意深く避けていました。

本書は、人生に行き詰まりを感じ始めていた26歳の女性が、自己啓発セミナーに友人の強い勧めで参加したのをきっかけに、さまざまなセミナー、ワークショップに参加した経験を、まとめたものです。

最初の自己啓発セミナー(本書では「自己洞察セミナー」と表現されていますが、内容からして、日本ではestやライフスプリングなどとして知られているものに近いと思います)に始まり、紹介されているセミナー・ワークショップの数は14

太極拳や占星術、腸内洗浄療法に前世療法など多岐にわたります。また、私も15年ほど前に出会ってかなりはまっていたNLP(神経言語プログラミング)のセミナーの体験も紹介されています。

日本でも自己啓発セミナーやそれに類するセミナー・ワークショップの体験本はいくつか出ています。ただ、それらの多くが暴露本の性格があり、なんとも暗い印象なのですが、本書はなんとも明るいのです。

自分自身からも一歩距離を置いて冷静に観察はしているのですが、冷めた意識ではなく、セミナーやワークショップで感動し、泣き、笑い、怒る著者の姿が描かれています。

といって、紹介しているセミナーを一方的に賛美したりするものでもなく、あくまでも、一歩距離を置きながら、面白おかしく書いてくれているのです。

「セミナー・ワークショップおたく」になってはまってしまっている人が、そんな自分を見つめなおすきっかけになってくれる本です。

また、「自分探し」、「スピリチュアル系」のセミナー・ワークショップを気嫌いしている人にとっても、気楽に読める本です。

何かの理論を学ぶのではなく、本書で紹介されているようなセミナー・ワークショップは自分の心と身体をある意味差し出して扱うワークショップは、かなり激しい体験になります。

だからこそ毀誉褒貶も激しくなります。

はまるのでもなく、毛嫌いするのでもなく、ほどよい距離感を保つためには、本書のような本を解毒剤、免疫剤として使うのはいいのではないでしょうか。

元セミナー・ワークショップおたくであり、自己啓発セミナーに近いところにあるNLPやコーチングに携わってきている人間である私からお勧めします。

さて、本書の中から著者が数多くのセミナー・ワークショップの中で学んだことを一つ紹介して終わりにしましょう。

この学びは、NLP(神経言語プログラミング)をその創始者の一人であるリチャード・バンドラー氏に学んだ1週間セミナーで聞いたという言葉です。

著者は「パンドラーの次の言葉を聞けただけでも、一週間セミナーに通った甲斐はあった」と書いています。

「学びについて話しましょう。生涯にわたる学びの秘訣とは、他人と自分を比較するのをやめることです。競争相手は自分しかいない。毎年、どうしたら学びの能力を二倍にできるかを問い、自分の学習プロセスを注意深く観察しなさい。何を知りたいのか探りなさい。知りたいことがわかったら、本を読んではいけない。表に出て探索するのです。」

結論はセミナーやワークショップに参加しなくても、学びはできるということのようです(爆!)

| 宇都出雅巳 | セラピー | 14:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
「葛藤していることはむしろ、健康な状態なのです」

最初に書いておくと、本書はタイトルにある「「普通がいい」という病」について論じた本ではありません。「「普通がいい」という病」」については、「はじめに」でほぼ言い尽くされている感があります。

「はじめに」はこう始まっています。

私たちはみんな、ほかの人とは違う「角(つの)」を持って生まれてきました。「角」とは、自分が自分であることのシンボルであり、自分が生まれ持った宝、つまり生来の資質のことです。

この「角」は、何しろひときわ目立ちますから、他人は真っ先にその「角」のことを話題にしてきます。動物としての習性からでしょうか、集団の中で「角」のためにつつかれたり、冷やかされたりして、周囲から格好の餌食にされてしまうこともあります。そんなことが繰り返されますと、いつの間にか「この『角』があるから生きづらいんだ」と思うようになる人も出てきます。

自分が自分らしくあること、その大切な中心である「角」、それを自分自身で憎み、邪魔にして隠しながら生きるようになってしまうと、生きること自体が色あせ始め、無意味なものに感じられるようになってきます。生きるエネルギーは枯渇し、すべてが立ち行かなくなってしまいます。

この「角」がなくなった状態が「普通」というわけです。

「角」の切除を施された人たちは、初めに感じていたはずの窮屈さも忘れ、「普通」であることをみずから望むようになり、周囲の人間や子どもたちにも同じ価値観を求めはじめます。「『角』の切除をして普通になることが大人になることなのだ」という洗脳が、こうして拡大していきます。

「自分らしく生きる」ということもよく言われるようになりましたが、この「自分らしく生きる」ということすら、「自分らしく生きるとはどういうことなんだろう?」と周りを見て考える、なんていう「自分らしく」ないことが起こってきます。

 では、どうやってわれわれは生きていったらいいんでしょう? まあ、そんなふうに答えを求めること自体が、何かずれを生む気もしますが、本書は、著者が臨床の場面で感じたことがあれこれと生きていくヒントとして述べられています。

それは、いわゆる常識といいますか「普通」と思われていることと、ちょっと違っていて、なかなか新鮮です。

私が印象に残ったことをいくつか紹介したいと思います。

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| 宇都出雅巳 | セラピー | 10:56 | comments(0) | trackbacks(1) |
時代が締め出すこころ
 ここ最近、アスペルガー症候群など、発達障害が話題になっています。

このブログでも何度かアスペルガー症候群に関する本について取り上げました。

 → 「アスペルガー症候群」とは天才・偉人のこと? それとも全員なのかも?

 → 
自分はアスペルガー症候群だったのかも(もしかして今も。。。)



これまでの記事でも書いてきたことですが、「アスペルガー症候群」といった病名で、自己理解が進むというメリットもありますが、それがレッテル貼りや、居直りにつながってしまう危険性もあります。


本書の著者は、精神科医として数多くの人と接してきた体験から、ここ最近の発達障害の一般化に伴って、何か異質な人を排除するような傾向につながっているのではないかと危惧しています。


本書には数多くの患者さんとの臨床例が書かれています。

どれも、スパッと解決するようなものでもなく、ブリーフセラピー(短期療法)のようにあっという間に治っていくものはほとんどありません。

著者自身が悩みながらもかかわり、患者さん、その家族もあれこれ悩みながら進んでいくプロセスが描かれています。


その中で、アスペルガー症候群にしろ、さまざまな発達障害は、その人だけの要因ではなく、その地域や属する組織の要因によって、問題となったりするといったことを指摘します。

そして、いわゆる「空気が読めない」ということにも疑問を投げかけ、発達障害ならではの個性にもエールを送っています。

「だが、私は空気が読めないのは悪いことなのだろうかと思う。広汎性発達障害の傾向を持つ人の持ち味は、変化球でhなく、真直ぐの力強いストレートにあると、私は思う。彼らは決してぶれず、自分のストレートで勝負を続けていく。そこに時代を切り開く力も秘められているように私は思っているのである。」


「ブレない」政治家を求める一方で、みずからはブレ続けている私たち。

アスペルガー症候群や発達障害を他人事、もしくは自分事としてだけとらえるのではなく、そこから人との関係、組織、社会についても考えていければと、より実りあるものになると思いました。


なお、本書では著者自身の高校時代での3つの旅の記録が書かれています。

その中で、伊豆のある玄米菜食の道場のようなところで3週間ほどいたということが記されていました。

実は私も大学2年から3年にかけて、伊豆にある玄米菜食の道場のようなところに通っていた時期があります。おそらく、著者が滞在していたところと同じところだと思われます。。。

そこでの体験、そして学ばれたところなど、自分が経験したことととても重なりました。

少し、この著者との距離が近づいた気がしました。


本書はノウハウ本でもなく、スパッとした解決策を提示してくれるわけではありませんが、何か生きること、コミュニケーションすることの意味や深さを味あわせてくれます。
| 宇都出雅巳 | セラピー | 06:46 | comments(0) | trackbacks(4) |
心をはなれて、人はよみがえる
JUGEMテーマ:読書

あの大地震から1ヶ月経ちました。

地震直後に、家族を実家に送り出して一人になったこともあり、数日間、家で一人でボォーとしていました。

メルマガを書く気も起きませんでしたが、 4日後の3月15日に聴き方のメルマガを配信しました。 本文は省略しますが、メルマガの前後は次のように書いていました。
  1ヶ月ぶりのメルマガになりました。
  埼玉・所沢は曇り空です。
  先ほど、昼ごはんを食べました。自家製チャーシュー丼です。
  今日も生きています。
  ついついテレビをつけてニュースを見てしまいます。
  今、消しました。
  気のきいたことを書こうと思いましたが、今の自分のことしか書けない
  ですね。
  今号もよろしく。 

  (中略)

  最後まで読んでいただきありがとうございました。
  家に一人でいると、よくボォーとします。
  このまま、ボォーとしていたらどうなるんだろう? なんて、ボォーと
  しながらも、心配になったりします。
  また、ボォーとしながらも、やはり、おなかは空くもので、何か食べ
  ようとします。
  本を読み始めたり、部屋を片付けたりします。
  こうやって、メルマガを書き始めたりします。
  締め切りが近づいている本の原稿を読み直したりしてます。
  また、ボォーとし始めました。
  今日はこのへんで。
今、読み返すと、なんとも放心状態であることが伝わってきます。ちょっとやばい状態ですね(笑)。

実際、このメルマガを配信した直後、これを読んだコーチや臨床心理士の友人・知人から何人も、「大丈夫ですか?」というメールをもらいました。

精神障害で「解離」や「離人症」などといわれるものがありますが、自分自身を外から傍観者のように見ているような感覚になるといいます。

確かに、自分の意識が自分自身の身体から離れて、いろいろなところに飛んでしまっていたような気がします。

意識が飛んでしまったり、広がっても、地に足はついている感覚はあったので、大丈夫でしたが、普段とはやはり違う意識状態でした。

で、ここからが本題なのですが、意識を飛ばしたり、広げたりすることは、コーチングや人の話を聴く中でかなり行っています。

また、コーチングを受けたり、カウンセリングを受けたりすることは、ある意味、意識を飛ばしたり、広げたりすることを行うことでもありますし、その中で問題が解消、解決することがよくあります。

解離や離人症などの精神障害と、コーチングやカウンセリングなどで起こっていることはどう違うのか?

あらためてそんなことを知りたくて、本書を読みました。

本書の著者で、精神科医である高橋和巳さんは、さまざまなクライアントが心の葛藤を乗り越える瞬間に「心をはなれる」という現象を味わうと書いています。

「心をはなれる」とは次のような現象です。
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| 宇都出雅巳 | セラピー | 19:23 | comments(15) | trackbacks(0) |
注意を集中する → 今を生きる → 自分が全体であり、より大きな全体の一部であることを知る
 本書は、アメリカのある大学で行われていた「ストレス対処およびリラクセーションプログラム」の内容を、その考え方とその具体的実践内容をまとめたものです。

 400ページ近いほんですが、非常にわかりやすい文章で書かれていて、スッと入ってきました。

 さて、本書の方法は、”今”という瞬間に完全に注意を集中する方法です。

 著者は禅の影響を強く受けていて、いわゆるヴィッパサナ瞑想などの流れをくむものです。

 コーアクティブ・コーチングでいえば、プロセスの指針と重なります。

 何かをすることではなく、「何もしない」ことであり、それを学ぶことでもあります。

 何か浮世離れしたと思われるかもしれませんが、これは仕事を含めた現実の生活を生き抜いていくのに非常に役立ちます。

 今という瞬間に注意を集中することによって、良いとか悪いとかの評価判断を手放し、自分が体験していることをすべて自分のものにできます。英語でいうと”OWN”できるのです。

 知らず知らずのうちに、あれこれ心配したり、考えたりしていて使っていたエネルギーや時間を手放し、シンプルに、楽に生きることができるようになります。

 ではどんな内容なのか?

 もちろんシンプルです。
 
 基本は禅でもヨガでもなんでも共通ですが、「呼吸」です。

 まずは「呼吸」に集中して、呼吸から意識が外れたら、また呼吸に意識を戻すことを繰り返すのです。

 また、「食べる瞑想」なんていうのもあります。 三粒のレーズン、瞬間瞬間を体験しながら一粒ずつ食べるというものです。

 こういったものは五感を鍛えるトレーニングとして紹介されることもありますが、簡単でしかも大きな気づきが得られるのでやってみてください。

 本書の食べる瞑想をちょっと引用しておきます。
まず最初に、レーズンを観察することに注意を集中します。初めて見るようなつもりで観察します。指でつまんだ感触を確かめ、色や表面の状態に注意をはらいます。こうしていると、レーズンやほかの食べものについてのいろいろな思いがわきあがってくるのに気がつきます。観察しているうちに、好きとか嫌いといった思いや感じも生まれてきます。
 次に、しばらくレーズンの匂いをかぎ、最後に、うまく口にもっていくために腕が手を持ち上げ、心と体が食べものを予期して唾液を出すのを意識しながら、唇にレーズンを乗せます。そのまま口に入れ、一粒のレーズンの本当の味を確かめながら、ゆっくりとかみしめます。
 十分にかんだら、飲みくだすときの感触を確かめながら飲みこみます。飲みこむという行為でさえ、意識的に体験することができるのです。飲みこんでしまうと、自分の体が、レーズン一粒分だけ重くなったような気がします。実際にそう”感じる”ことができるかもしれません。
 別にレーズンでなくても、ご飯粒でもいいでしょう。ほんの5分でもいいのでやってみるといいですよ。 さて、このマインドフルネスストレス低減法に取り組むにあたっては次の7つの態度が重要とされています。  1)自分で評価をくださないこと  2)忍耐づよいこと  3)初心を忘れないこと  4)自分を信じること  5)むやみの努力しないこと  6)受け入れること  7)とらわれないこと こんな態度がとれたら苦労しないよ、と突っ込みたくなるようなものばかりですが、これも今という瞬間に意識を集中する過程で、できていくように思います。  また、コーチングのトレーニング、さらにはインプロ(即興)のトレーニングなどは、まさにこれを行っていますね。  そして、本書の特徴的というか、単なるリラックス技法や注意集中技法とは違うなあと感じたのは、この方法を通して”全体性”を感じることの重要性を強調しているところです。本書はおおきく3つの部に分かれているのですが、最後の第三部は「健康と癒しの新しいパラダイム」ということで、”全体性”についてかなり紙面を割いています。  全体性というのは、自分が一つの全体(WHOLE)であり、かつ、より大きな全体の中の一部であることであり、その体験です。  コーアクティブ・コーチングでは4つの礎の一つ、”The client is naturally creative, resourceful and whole"に重なるところであり、プロセスの指針そのものであり、NLPではニューロロジカルレベルの、スピリチュアルレベルの体験ですね。  コーチングは目標達成の技術、行動を進めるものとしてとらえられがちで、そういった側面もあるのですが、それだけでは大事な面をとり逃してしまいます。  本書のような本を読むことで、ついつい忘れがちな点を思い出しておくことは、大事ですね。
| 宇都出雅巳 | セラピー | 10:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
受容できていないことを自己受容する

 著者は精神科医としてカウンセリングに携わっている。

本書は具体的な事例が中心に、カウンセラーが直面する課題、ワナについて丁寧に解説してくれる。

そして、本書のキーワードは「受容」

受容といえば、ロジャーズ派のカウンセリングを中心に、カウンセリング自体のキーワードともいえるものですが、ここまで深いとはほんと思いませんでした。

第3章、第4章では、「人の話を聴けなくなるとき」ということに焦点を当て、「拒絶してしまう」「応援してしまう」という対極のように見えながら、同じ穴のムジナであることを取り上げています。

コーチの人にもとても参考になる内容です。 今まで気づかなかった自分の癖に気づくでしょう。

もっと紹介したいのですが、とてつもなく長くなりそうなので、ここらへんやめておきます。

一つだけ、言葉を紹介しておきましょう。


「受容できていないことを自己受容する」

| 宇都出雅巳 | セラピー | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
臨床家・実践家にとっての「理論」とは何か?
 副題に「理論統合による基礎と実践」とあるように、単なる心理療法入門書というより、複数の理論を統合して実践にあたっている著者のアプローチ、理論統合アプローチを学べるのが特徴です。

 また理論統合アプローチをとるかどうかは別にしても、自らが拠って立っている理論について、あらためて考える機会になるでしょう。

 心理療法家、カウンセラー、そしてコーチもそうですが、何らかの理論に基づいて実践を行っています。

 「いや、クライアントやその状況に応じて、さまざまな理論を使いこなしていますから……」という人もいるでしょうが、それは本書の著者は「折衷主義」と呼んで、それはあまり「妥当なものだとは思えません」と言っています。

 その理由としては、

  「異なる心理療法理論は異なる人間観や治療観のうえに成り立っており、それらの哲学的基盤はしばしば排他的だからです」

  「来談者によって異なった人間観で人を見るということは、ほんとうは不可能なこだと思います」

 と説明しています。

 この「人間観」「治療観」というのはとても大事なポイントだと思います。 コーチングなどは特にそうかもしれませんが、何かスキルやテクニックのように思われがちですが、その根底には「人間観」があり、その人間観をとるかどうかなのです。

 たとえば、コーアクティブ・コーチングというコーチングでは、「クライアントはもともと完全な存在であり、自ら答えを見つける力をもっている」(The client is naturally creative, resourceful and whole")という礎を持っています。

 これに対して、「答えを見つける力を持っている人にはコーチングができるが、もっていない人、たとえば新人などにはコーチングできない」なんていう人がいます。

 また、「本当に人は自ら答えを見つける力を持っているのだろうか」とその正誤を問題にする人もあいます。

 しかし、この「クライアントはもともと完全な存在であり、自ら答えを見つける力をもっている」(The client is naturally creative, resourceful and whole")という礎はコーアクティブ・コーチングの人間観であり、そういう考え方で行うことが肝なわけです。

 「この人は答えを見つける力を持っている人なんだろうか、どうなんだろうか?」なんていう時点で、ずれてしまっているわけです。

 一方で、このように理論というものは人間観のようまものを内在化していますから、ある一つの理論だけがすべだ、これこそが絶対的な真実だなんて思うと、独善的になってしまいます。

 本書の著者は、こういった独善的な心理療法家が以外に多いという印象を持っており、折衷主義と同様に、これに対しても危惧をいただいています。

 コーアクティブ・コーチングにしても、「これこそがすべてだ!」なんて盲目的に信じている人がいるかもしれません。そうなると、コーアクティブ・コーチングになるどころか、どんどんと独善的になってしまいます。どんなにすぐれた理論でも、一つの見方にすぎないのであり、色めがねだからです。 
「心理療法理論とは、現実を観察するための色めがねであり(理論によって違う色がついています)。観察された幻想の意味づけをするための枠組みだと私は考えます。ところがなかには、自分のめがねに色がついていることを忘れ、言いかえれば、自分の理論が単なる枠組みであることを忘れ、「私の見方こそが真実である」と信じてしまう人がいます。」
この色めがね。取れるものでもありません。

「自分はどの理論にもとらわれていないから、色めがねをかけていない」なんていう人もいますが、そういう人こそ「色めがね」をかけていて、そのことに気づかずに「私の見方こそが色めがねを通していない真実である」と信じてしまうことになりかねないのです。

色めがねをかけていることを自覚する。 これしかできないのだと私は思います。(まあ、これも自分の色めがねですが) 

だからこそ、自らが拠って立つ理論を選ぶ、そして自覚することが大事なのでしょう。
「心理療法家が各自の拠って立つ治療体系を選ぶのは、その治療体系が絶対的に正しいからとか、もっとも優れているから、といった理由からではないと思います。そうではなく、その体系をとおして現象を見ると、その心理療法家にとって現象がもっとも理解しやすく、その体系に基づいて治療するともっともしやすいからだと思います。」
折衷主義でも独善主義でもない。 それが著者の提唱する「理論統合アプローチ」です。本書では、自らの理論的基盤となっている5つの理論がわかりやすく紹介されています。

その5つとは……
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| 宇都出雅巳 | セラピー | 13:47 | comments(3) | trackbacks(0) |
1年生になったら、友だち100人できましたか?
 「死ななくてすむ」というのは、なかなか思い切ったタイトルですが、人間というのはほんと思いつめてしまうものなので、悩んで「死」を選ぶというのも案外身近なのかもしれません。

著者はトランスパーソナル心理学をはじめ、かなりぶっとんだ分野までカバーするカウンセラー。私は5年ほど前だと思いますが、フォーカシングのワークショップを企画して、著者の諸富さんに講師としてきてもらったことがあります。ワークショップは普通でしたが、ワークショップ中や後のオフの時間での話がかなりぶっとんで面白かったのを覚えています。

本は新書でかなり軽いつくりです。

基本的には、さまざまな「こうあるべき」「こうあらねばならない」という世間の思い込みを打ち破ろうとするものです。

たとえば、「友だちは多いほうがいい」

こんな思い込みを知らず知らずのうちに信じていませんか? 本書では、小学校1年のときによく歌わされた「1年生になったら」を取り上げて、友だちは多いほうがいいと刷り込まれてきたと語ります。

「1年生になったら、1年生になったら、友だち100人できるかな」

そんな歌詞で始まる歌です。覚えている人も多いでしょう。

ネットでもmixiやFacebookの友だちの数を気にしたり、TWITTERのフォロー数を気にする時代です。

「友だちは多いほうがいい」。でも本当にそうでしょうか? そうやって問いかけると、ふっと楽になるかもしれません。

このように、「こうあるべき」「こうなければならない」という信念・思い込みを見直すのは、論理療法など、セラピーの基本的手法ですが、人間はわかっていてもついつい固定的な観念を持つので、本書のように、ちょっと揺さぶってくれるものは役に立つでしょう。

ただ、著者の場合は「一人でいること」「孤独」に積極的な意味を見出して勧めているので、今度は「一人でいなければならない」「孤独に耐えなければならない」というようになると、またまた固定観念となって自分を縛ることになる危険性もあるので、このあたりは注意が必要でしょうね。

そのほか、本書で掲げられているのは……


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| 宇都出雅巳 | セラピー | 12:08 | comments(2) | - |
「白状する」「不思議がる」のは精神(心理)療法家の大事なスキルだ
 本書はもともと雑誌「臨床心理学」に連載されていた「精神療法・精神療法家論」をまとめたものです。

 著者の長年にわたる豊富な臨床体験を土台に、精神(心理)療法家がプロとして実践するにあたって、とても参考になる話が、わかりやすい言葉で書かれています。

 たとえば、治療者の介入として「白状する」ことの大事さが語られています。つまり、自分が感じている気持ちを率直にクライエントに伝えてしまうことです。それはある意味、治療者としての限界を告白することです。

 「白状する」というのはプロの精神(心理)療法家として、そぐわないように思われるかもしれませんが、私自身コーチとして精神(心理)療法家の端くれとして活動した経験の中でも「そうそう」とうなづけることです。

少し長いですが、著者が「白状する」がなぜ大事なのかを書いているところを引用しましょう。
治療者が治療者としての、さらには人間としての限界を示すことで、患者が治療者を等身大の一人の他者とみなすときに治療の転機が生じるということになると思う。それまで患者は治療者を等身大の一人の他者とみなすときに治療の転機が生じるということになると思う。それまで患者は治療者を強大な全能の存在とみなしたり、あるいはあたかも自己の一部であるかのようにみなしたりして、もっぱら要求をしていた。そして要求が容れられないなと治療者に不満をぶつけていた。しかし治療者の限界の告白によって、治療者を一個の他者として、一人の等身大の人間として認めるようになる。そして自己をみつめ、自ら治療の仕事をするようになるのであろう。治療者は患者のために役立とう、患者に共感しようと努める。しかしそう努めれば努めるほどおのれの限界に直面せざるをえない。そしてそれを告白するとき、治療者もまた患者が自分とは別の人格であることを、つまり他者であることをあらためて知る。共感を求める努力が結局は互いの他者性をあらわにする。そしてはたして他者とわかり合い共感することができるのかという問題にあらためて直面する。
「白状する」は親と子ども、上司と部下、先生と生徒といった関係でも大事なように思います。企業で管理職の研修を行っていると、いろいろと部下との関係での悩みを相談されることも多いですが、それを聴いていると、「そう思っていることを部下にそのまま話したらどうですか?」といいたくなることがよくあります。「でもそんなことを言ったら……」としり込みされるのですが、実際に率直に部下に気持ちを伝えることで、これまでの関係とは一段と深い、しかも対等な風通しのよい関係に進むものです。

「白状する」というのは、コーチはもちろん、上司などにも大事なスキル?としてもっと普及していけばいいと思います。

そして、引用箇所の最後のところで「共感」という言葉が出ています。この「共感」というよく使われますが、その意味はなかなか深く理解されていない言葉についても、本書では「解釈」「自己開示」との関係から考察していて、興味深いです。

そして「白状する」のように、わかりやすい言葉でなるほどと思ったのが、次の言葉です。
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| 宇都出雅巳 | セラピー | 09:23 | comments(1) | - |
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