宇都出ブックセンター

本が大好きな宇都出雅巳(まさ)が、本の紹介をしています。
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幻想が幻想を見るとどうなるんだろう
 「お金は幻想である」

 「マネーゲームにはゴールがない」

これ自体は本当です。

金(きん)の裏づけがあって紙幣が発行されていたときと違い、今や野放図にバンバンと紙幣が発行されています。

精巧に印刷されているとはいえ、ただの紙に価値を感じるのは単なる約束ごと、幻想といってもいいでしょう。

FXなんて取引していると、レバレッジで何十倍、海外口座であれば何百倍の取引ができ、10万円しかないのに、2000万円、3000万円分の通貨取引ができるのを体験すると、お金はほんと幻想だと思います。

そして、あくなき利潤の追求を続けて、世界を駆け巡り、人間を働かせ続けるマネー資本の動きを見れば、マネーゲームにはゴールがない、終わりがないことをひしひしと感じます。

 しかし、この本はこんなことで、この「マネーゲーム」を脱出しようというのではありません。

 もっとぶっ飛んでいます。

 今、体験しているこの世界、経験は、お金とか「マネーゲーム」とかだけでなくすべてが幻想だというのです。

 まあ、「すべてが幻想」というなら、それもそう思ってもいいかもしれません。

 ただ、この本がさらにぶっ飛んでいるのは、
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| 宇都出雅巳 | 宗教 | 19:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
『悟りは3秒あればいい』 大事なのは「受け入れること」:小林正観さんのご冥福をお祈りして

この本の著者である小林正観さんが3日前の10月12日に亡くなられたそうです。

全国を講演されて回られており、たくさんの本を出版されていたので、ご存知の方もいるかもしれません。

私は、もう5年以上前になりますが、
メルマガ読者の方から「ぜひ見てください」と講演ビデオをいただいて見たことがあります。内容はほとんど覚えていませんが、ひょうひょうとした雰囲気だけは今も残っています。

先週、たまたま図書館でこの本のタイトル「悟りは3秒あればいい」が目にとまり、「え? たった3秒かよ」と思わず、手にとって読んでしまいました。。。
(具体的な数値を出したタイトルというのは、やはり強力ですね。「1冊10分」「一晩5冊」など、速読本のタイトルがそうなっていくのも、売ることを考えればまあうなずけます)

タイトルの「悟りは3秒あればいい」の内容は、まえがきに書かれており、まさに「3秒で読める」シンプルな内容でした。

正観さんのいう「悟り」とは…

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| 宇都出雅巳 | 宗教 | 13:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
コーチングは宗教か? コーチは民間宗教者か?
内田 樹,釈 徹宗
講談社
¥ 1,575
(2010-02-23)

 『日本辺境論』で完全にブレイクした感のある内田樹さんですが、その視点は面白いというか、自分がなんとなく思っていたことを見事に言語化してくれるというか、読んでいて頭が刺激されます。

本書は、その内田さんが、浄土真宗のお坊さんである釈徹宗さんと、神戸女学院大学で行った対談形式の講義をまとめたものです。

「霊性」、英語でいうと「スピリチュアリティ」、「宗教」。さらには「霊」そのものなど、「霊」にまつわるさまざまなテーマがこれでもか、これでもかと出てきます。

 ちょっと目次の章タイトルを挙げておくと、

  第1章 霊って何だろう?
 
  第2章 名前は呪い?

  第3章 シャーマン、霊能者、カウンセラー−−民間宗教者のお仕事

  第4章 スピリチュアルブームの正体

  第5章 日本の宗教性はメタ宗教にあり

  第6章 第3期・宗教ブーム−−1975年起源説

  第7章 靖國問題で考える「政治と宗教」

  第8章 宗教の本質は儀礼にあり

  第9章 宗教とタブー


この目次をみてもお分かりのように、「宗教」という言葉がかなり出てきます。

なので、「宗教」って何だろう? という本でもあるのです。


私はコーチングなる新たな?(古い)職業に携わっていますが、この「宗教」なるものとかなり近い領域の仕事です。

自分自身、「宗教」的なものに引かれながらも、組織としての宗教などに違和感を感じ、カウンセリングやコーチングに行き着きました。

なんてことを言うと、引く人も多いかもしれません。 「宗教」って危険なイメージがありますからね。

実際、「コーチングって宗教みたいですね?」と言われる(いい意味ではなく)ことがよくあると聞きます。

「いや、宗教じゃありませんよ」とコーチの人はもちろん答えるわけですが、じゃあ、宗教とは何かをある程度わかっておかないとあまり説得力がないような気がします。

そんなことからも、コーチの人も、本書などを読んで、「宗教」なるものに軽く触れておくのもいいでしょう。

で、そもそも「宗教」て何でしょう? 釈さんによると、宗教学では機能論で宗教を考えるのが盛んだそうです。 その宗教の機能というのは……




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| 宇都出雅巳 | 宗教 | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
普通にいられる、生きられるのはすごいこと
天台宗大阿闍梨 酒井 雄哉
朝日新聞出版
¥ 735
(2008-10-10)

 比叡山の約7年かけて行う千日回峰行を2度も行った、酒井雄哉さんの話をまとめたもの。

「一日一生」というシンプルなタイトルも手伝ってか、かなり売れた新書です。

うちの奥さんが新聞広告を見て興味を持ち、1年近く前に図書館に予約していて、先日ようやく借りられてきたので、私も読んでみました。

大きな字で、難しい話は全くなく、酒井さんが子どものころや千日回峰行で体験したことが語られるばかりです。

何か気の利いたことが書いてあるわけでもなく、えらそうに千日回峰行を語るわけでもなく、ほんと普通です。

でも、こんな普通なのがすごいというか、あまりないんですよね。

何か普通のことでないように語る、特別なことのように語る。そういう風潮というか、それこそ普通の人であれば、ついついそう語ってしまいますから。

千日回峰行にしても、ラーメン屋さんがラーメンを作ることと同じだと語られます。
「二度の千日回峰行を経てどんな変化がありましたか」とよく聞かれるけど、変わったことは何にもないんだよ。みんなが思っているような大層なもんじゃない。行が終わっても何も変わらず、ずーっと山の中を歩いているしな。「比叡山での回峰行」というものでもって、大げさに評価されちゃっているんだよ。

戦後、荻窪の駅までラーメン屋をやってたことがあるんだ。今でも材料あったらチャッチャッチャッて作っちゃうよ。今と同じですよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、六時ごろに仕込みして。くるくるくる……。もしここに屋台あったらラーメン屋のおやんじだな。形は違うけどやってることは同じなんだよ。
腹がすわって、淡々と毎日を生きている姿が本書から感じられます。
自分の身の丈に合ったことを、毎日毎日、一生懸命やることが大事なんじゃないの。
こういわれると、スッと全身の力が抜けていきますね。
| 宇都出雅巳 | 宗教 | 15:09 | comments(0) | - |
「スピリチュアル」は特別なことではありません。
 「スピリチュアル」

この言葉を聞いて、あなたにどんな反応が起きますか?

「大好き!」 「興味ある!」という人もいれば、「なんだか怪しい」「勧誘されるのでは」なんていう人もいるでしょう。

最近はパワースポットや神社仏閣ブームなど、いわゆる「見えないもの」へのブームというか関心が高まっていますから、「スピリチュアル」といっても昔ほど避ける人は少なくなったかもしれません。

ただ、私としては、「スピリチュアル」もしくは「スピリチュアリティ」というものが、何か特別なものであるとか、遠い存在というふうに感じてほしくないと思っています。

実は「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」というのは、当たり前のものであり、私たちに身近にあるものであり、そして、われわれが生きていくうえでとても大事なものだからです。
| 宇都出雅巳 | 宗教 | 13:59 | comments(0) | - |
あまりにも読みやすい淡々さが、オウム事件が他人事でないことを教えてくれる
私にとってオウムとは何だったのか
私にとってオウムとは何だったのか
早川 紀代秀, 川村 邦光

六本木ヒルズのライブラリで見かけて、ふと気になって読みました。

著者の一人である早川氏は、確かかなり強面の顔だった印象があります。ただ、本を読んでみると、その印象からはかなり違いました。

淡々としたトーンで、自らの生い立ち、オウム教団での日々、オウム真理教の教えが、とてもわかりやすく書かれています。

その淡々とした話の行き先が、あの事件であるのが、なんとも表現しがたいところです。

後半の3分の1ほどは、宗教学者の川村氏が、戦前の日本軍国主義、そしてその下での大本教弾圧など、宗教弾圧の歴史、それに対する宗教側の武力闘争、テロリズムを紹介しながら、オウム真理教について分析しています。

最後のほうで、『ゲド戦記機 ̄討箸寮錣ぁの次のような文章を引用しています。

そなた、考えてみたことはいっぺんもなかったのか? 光に影がつきものののように、力には危険がつきものだということを。魔法は楽しみや賞賛目当ての遊びではない。いいか、ようく考えるんだ。わしらが言うこと為すこと、それは必ずや、正か邪か、いずれかの結果を生まずにはおかん。ものを言うたり、したりする前には、それが払う代価をまえもって知っておくのだ!


川村氏は、この魔法を宗教と置き換え、

魔法/宗教はこの世と無縁の観念の世界だけに関わるものなのではない。この世に及ぼす力をもってかかわっているのだ。自分の言動に対する支払うべき代価、それはささやかな日常の生活倫理から判断されるのではなかろうか。


と述べています。

私はコーチングという人の心、そして行動にかかわる仕事をしています。コーチングの技術はとてもパワフルです。それは人に大きな影響を与えます。そして、それはその人の人生、そしてその人を取り巻く人々にも大きな影響を与えます。

コーチングがパワフルであるからこそ、『ゲド戦記』の言葉は覚えておきたいですし、オウム真理教のことも"違う世界・人”のことと考えないでいたいと思います。

そして、コーアクティブ・コーチングの基本である4つの礎の第一、
「クライアントはもともと完全な存在であり、自ら答えを見つける力を持っている」を本当に信じきることの大事さを感じます。こういう考えを持つコーチングを学び、伝える立場にありながらも、いったんコーチングやワークショップの場を離れると、この考えをついつい忘れている自分がいます。

ついつい自分の考えが正しく、他人の考えが間違っていると思っていたり、「この人はわかっていない」と相手の不完全さの部分に焦点を当てている自分がいます。

自分の考えに共感してくれたり、同意してくれる人がいると喜び、批判や反論されたりすると、がっかりしたりする自分もいます。われながら、まだまだ人を見る目が浅いと思います。

川村さんはこういうことも書いています。

獄中でリアルな日常をようやく回復した。「自己を滅し、グルの意思に従って行動しよう」とした出家者から、「自分のことは自分で決める」自分
へ、それは私は私の自由な決断に依拠して生きているということであろう。とするなら、他者に対しても、自分に対しても、意識的であれ非意識であれ、正も邪も、善きことも悪しきこともなすことができる存在であることを引き受けなければならないのである。


「引き受ける」という言葉が心にしみます。

本書に関して、脱洗脳で知られる苫米地英人さんは、ブログで批判しています。
「早川紀代秀、事実を明らかにせよ。洗脳は解けていない。」
こちらも併せてお読みください。



| 宇都出雅巳 | 宗教 | 16:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
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