宇都出ブックセンター

本が大好きな宇都出雅巳(まさ)が、本の紹介をしています。
『僕とツンデレとハイデガー』−−世界に確実なものはあるのか?

先月行った勉強会・宇都出カフェの参加者のお一人から教えてもらった一冊です。

ちょっと手に取るのが恥ずかしくなるような、アニメキャラの女の子が表紙です。

8人の哲学者(デカルト・スピノザ・バークリ・ヒューム・カント・ヘーゲル・ニーチェ・ハイデガー)の思想を、その化身である8人の女の子が紹介してくれるという小説仕立ての解説書です。

『もしドラ』のように、ところどころに、女の子のイラストも入り、いわゆる「萌え」的要素も入って、硬く・難しい話を興味深く読めるような舞台設定になっています。

ただ、取り扱っているテーマは骨太です。

「世界に確実なものはあるのか。あるとしたら人は、その確実なものを手に入れられるのか」という疑問。

だれもがいつかは突き当たる疑問でしょう。 もし気づいていなくても、どこかでこの疑問から逃れるために生きているかもしれません。

話のクライマックスは、もちろん、タイトルにも入り、8人の哲学者の最後を締めくくるハイデガー

その著書『存在と時間』をところどころ引用しながら、まさに人間の存在そのものに迫っていきます。(ちなみに、小説の中ではハイデガーの化身・春出川千夏という女の子と主人公のフォークダンスをしながらの会話で語られます)

そこで最後に示されるのは……

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
『構造構成主義とは何か?』−『人を助けるすんごい仕組み』の基本原理
JUGEMテーマ:読書

 本書は、被災地への支援プロジェクトの立ち上げからその経過を描き、話題を読んでいる『人を助けるすんごい仕組みの著者が7年前に書いた本です。

タイトルのとおり、「構造構成主義」という考えについて解説しています。

その目的は「信念対立の超克」。

本書は、人間科学の信念対立を超克し、建設的基盤を提供するための「理路」を提供することを目的としている。

家族間、友人間、そして会社でも、そして社会でも、意見の対立は必ず起こります。
そして、多くの場合「不毛な」対立になっていないでしょうか?

「自分が正しい」「そっちが間違っている」

ただただ、自分の主張をぶつけ合うだけで、疲れてしまう。

そんなことは、日常生活の中、会社の会議の中、そして、新聞やテレビでの討論でもよく起こります。

そんな対立を超えて、建設的になるにはどうしたらいいのか?

そんなヒント、基盤が本書には数多くあります。

著者の言う「構造構成主義」を支えているのは3つ。

その3つとは、

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 11:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
「依存する相手が増えるとき、人はより自立する」(『生きる技法』 安冨歩著)
安冨 歩
青灯社
¥ 1,575
(2011-12-23)

JUGEMテーマ:読書

  もう5年近く前になりますが、かなりの衝撃というか「腹落ち感」のあった本があります。

  『ハラスメントは連鎖する−−「しつけ」・「教育」という呪縛』
   

 その後、安冨歩さんに大変関心を持ち、その著作は手当たり次第読んでいました。

 たとえば、『複雑さを生きる』

 自分の出しているメルマガでも4年前に出版された『生きるための経済学』(NHK出版)
  を紹介しました。

   →  「選択の自由は行使不能な自由である」
      

   →  「心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」
      
 最近は安冨さんの本を読んでいなかったのですが、先日、新聞広告でとても刺激的なタイトルの本を出版されており、びっくりしました。

   『原発危機と「東大話法」』(明石書店)

さっそく買って読みましたが、その際に見つけたのが『生きる技法』です。

本書はタイトルどおり、

「生きるためにはどうしたらいいのか?」

という問いのもと、安冨さんが自らの人生経験と読書から導き出した技法(命題)をまとめたものです。

取り上げられているテーマは8つ。

    自立・友だち・愛・貨幣・自由・夢の実現・自己嫌悪・成長


どれもこれまでの思い込み、視点をひっくり返し、打ち砕く内容です。

まだ消化できていませんが、最初のテーマ「自立」の内容とそこから思い出したことなどを書いてみます。

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 15:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
瞬間を生きる哲学−−<今ここ>に佇む技法

プロローグ 瞬間という聖地」の冒頭で、著者は「この本で明らかにしたいこと」として次のように述べています。

いまこの瞬間のなかにすべてがある。少なくとも、大切なものは全部でそろっている。

人生の意味も美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも。

だから瞬間を生きよう。先のことを想わず、今ここのかがやきのなかにいよう。

 そして、続けて、本書の内容について次のように書いています。

いかがわしい。調子よすぎる。そう。いまは思われるかもしれません。ですが以下、この本をお読みいただけば、どなたも納得できる簡素な事実を、のべているまでのことです。
 なぜそういえるのか。たとえそうだとして、なぜふだんぼくたちは、そんな瞬間のかがやきを目撃することなく生きてしまうのか。瞬間を生きるには、どうしたらよいのか。そもそも、瞬間(いまここ)とはどういう時なのか。そんなことを、どなたも実感できる言葉で書きしるすこと。それが、この本の具体的な内容を、かたちづくっています。

 まさにここに書かれているように、本書は、瞬間についていろいろな角度から、そしていろいろな素材を用いて光を当てていきます。

 これでもか、これでもかと「瞬間」についての記述が続きます。私にとって、それはあまりにもまぶしく、ちょっと目があけられないほどでした。そのためか、すぐには本書の内容はしみこんできませんでした。この本を何回、何十回となく読み返し、瞬間の光のまぶしさに慣れてようやく、落ち着いて本書を読めるようになった気がします。

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 10:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
人間の生きる営みはすべて「身体と環境の相互作用」である
「認知運動療法」という新しいリハビリテーションを、さまざまな哲学者・神経学者の考えと交錯させながら、考察した本です。

取り上げら得ているのは、ベイトソン、メルロ=ポンティ、サルトル、フッサール、ヴァレラ、ポパーをはじめとする10人。

とても刺激的で、「コーチング身体論」なんていうのも考えたくなりました。

まだ消化しきれておらず、先日、メルマガで本書を、そこからの引用でお茶を濁させてもらいます。

「情報はどこに存在するのか?」という問いを考えてきたときに、本書を読んでいて、そこから考えたことです。

(ここからメルマガの引用)

読んでいたのは、「認知運動療法」(ちなみに「認知行動療法」とは違うものです)という新たなリハビリの考えを広めている宮本省三さんの 『リハビリテーション身体論』(青土社)という本です。

この「認知運動療法」については、以前、聴き方のメルマガで紹介した ので、ご興味のある方はお読みください。 → http://www.utsude.com/mailmag_2/mm_2/mm2_115.htm


  さて、「情報はどこに存在するのか?」について、この本で書かれていたのが、

     ● 情報は身体と環境との接点(中間)に存在する ●

  読書のように視覚でとらえることをちょっと脇において、あなたが指や手で何かに触れることを考えれば、これは納得されるのではないでしょうか?
  
  あなたの身体が何かの物体に接触することによって、初めて感覚が生まれて、その感覚が情報となる。

  これならば、

     ● 情報は身体と環境との接点(中間)に存在する ●


  にもうなづけるのではないでしょうか?
  
  
  では、読書のときはどうでしょう? 読書に限らず、何か物を見るときはどうでしょう? ちょっと、そこで何が起きているのか、意識してみてください。

     ● 情報は身体と環境との接点(中間)に存在する ●

  このことを感じられるかもしれません。

| 宇都出雅巳 | 哲学 | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
<わたしはだれ?>という問いに答えはない

 「わたしはだれ?」

こんな問いかけを自分自身にしたことはありませんか? 「自分らしさってなんだろう?」という問いだったかもしれません。

「自分探し」「私探し」については、いろいろと批判もありますが、多かれ少なかれ、だれもがこんな問いを一度は考えたことはあるでしょう。

コーチングをしている自分は、クライアントに「で、あなたは何者なんでしょう?」というように、セルフイメージや、ミッションに触れるような質問をすることは多々あります。

そして、そんな問いに対して、

「これがわたしなんだ!」

「これが本当の自分なんだ!」

「自分らしさはこれだ!」

と感じた体験があるかもしれません。

本書は、そんなあなたの本当の自分を発見するのを手助けしてくれる本ではありません。
本書が伝えたいのは、「<わたしはだれ?>という問いに答えはない」こと。

しかし、答えはないから、<わたしはだれ?>という問いが無意味なわけではありません。 そもそも、「わたしはだれ?」という問いをするのでしょう? 本書のプロローグにはこんなことが書かれています。

胃の存在はふだんは意識しない。その存在は故障してはじめて意識する。同じように、「わたしはだれ?」という問いは、たぶん<わたし>の存在が衰弱したときにはじめてきわ立ってくる。ということは、ここで<わたし>の意味というより、<わたし>が衰弱しているという事実とその意味をこそ問うべきではないのだろうか。

こんな調子でじわじわと<わたし>に迫っていきます。

ほんと、<わたし>って何でしょう? よくよく考えてみると、「わたしは●●なんだ!」という答えがみつかるというより、何か選んでいることのようにも思えてきます。

「自分は●●な人」「自分の好きな服はこれ」なんていいますが、「本当?」と言われるとかならず揺れるところがあるでしょう。まあ、絶対的な根拠、論理なんてないんですから。

また、そんなことを考えていない人でも、あなたがいつも守っている習慣や集めているモノなどはありませんか? もしかして、そんな習慣やモノが<わたし>になっているかもしれません。どういうことかというと……

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 11:47 | comments(0) | - |
「あなた」の哲学

 「あなた」


「あなた」は、この「あなた」という言葉をどれぐらい日々使っているでしょう?

日本語はあまり主語を明確に表現しないこともあって、そんなに使っていないのではないでしょうか?

ただ、歌謡曲をはじめとする歌の世界ではどうでしょう? けっこう「あなた」が登場することに気がつくでしょう。

ちょっと古いですが、

「あなた、変りはないですか……」 という出だしで始まる歌は?

そう、都はるみの『北の宿から』 (1975年、もう35年も前の歌なんですね)

もっと古いところでは、

「あなたを待てば 雨が降る……」

フランク永井の『有楽町で逢いましょう』。1957年です。

日常生活ではそんなに使わないかもしれませんが、だれでも意味を知っている(ように思っている)「あなた」。

国語的にいうと、話をしている相手を指す「二人称」です。

でも、単に目の前の相手を呼びかける言葉ではないように感じませんか?

実際、先ほど上に挙げた歌で使われている「あなた」。

「あなた、変りはないですか……」
「あなたを待てば 雨が降る……」

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 13:03 | comments(0) | - |
なんともさわやかな対談です
君自身に還れ―知と信を巡る対話
君自身に還れ―知と信を巡る対話
池田 晶子,大峯 顯

とてもさわやかな読後感が残る対談でした。

内容はもちろんですが、大峯さんと池田さんのやりとりが、なんともさわやかで面白いんです。

池田さんは分かりやすい言葉で、しかも鋭く本質を突きながら独自の哲学本の領域を開いた人。その死後も人気は衰えていません。私も池田さんの対談ということに引かれて、本書を購入しました。正直言いまして、対談相手の大峯さんのことは何も知りませんでした。しかし、結果的に私が引かれたのはむしろ大峯さんのほうでした。
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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 00:17 | comments(0) | - |
哲学と自然科学の関連を軸に近代哲学を知る
対話・心の哲学―京都より愛をこめて
対話・心の哲学―京都より愛をこめて
冨田 恭彦

ここ最近、脳の研究やそれに伴う「意識」の研究の本などをよく読む中で、哲学への関心がだんだんと高まってきています。とはいえ、哲学にはこれまでとんと馴染みがなく、哲学の本を読もうとしてもその難解さにお手上げ状態でした。そんななか、徐々に新書を中心に読み始めています。昔、新書といえば、岩波新書、中公新書、そして講談社現代新書ぐらいでしたが、いまではいろいろな会社が新書を出しており、哲学の解説書もたくさん出ています。

今回読んだ本書は、対話形式で進めている「読みやすそうな」哲学の解説書だったので、買ってみました。「読みやすそう」でも実際に読みやすいとは限りませんが、この本はほんと読みやすい本でした。

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| 宇都出雅巳 | 哲学 | 16:31 | comments(0) | - |
人間性とは作られたもの、主体性とは気が短いこと
「不自由」論―「何でも自己決定」の限界
「不自由」論―「何でも自己決定」の限界
仲正 昌樹

「「自由な人間としての主体性」なるものが、各人の内に「自然=自発的に」生じてくるという西欧近代を支えてきた「神話」内在する矛盾」。

著者は「自由」「主体性」、さらには「人間性」という、なんだかわかった気になっているもの、自然にあると思っているものにメスを入れていきます。


「主体性」といわれるのは、実は「気短さ」に対して、それが他者からの介入を受けていないように見えるのでつけられた名称かもしれない。。。

なんていわれると、自分というものが混乱してきます。

| 宇都出雅巳 | 哲学 | 17:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
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