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「あなた」の哲学

 「あなた」


「あなた」は、この「あなた」という言葉をどれぐらい日々使っているでしょう?

日本語はあまり主語を明確に表現しないこともあって、そんなに使っていないのではないでしょうか?

ただ、歌謡曲をはじめとする歌の世界ではどうでしょう? けっこう「あなた」が登場することに気がつくでしょう。

ちょっと古いですが、

「あなた、変りはないですか……」 という出だしで始まる歌は?

そう、都はるみの『北の宿から』 (1975年、もう35年も前の歌なんですね)

もっと古いところでは、

「あなたを待てば 雨が降る……」

フランク永井の『有楽町で逢いましょう』。1957年です。

日常生活ではそんなに使わないかもしれませんが、だれでも意味を知っている(ように思っている)「あなた」。

国語的にいうと、話をしている相手を指す「二人称」です。

でも、単に目の前の相手を呼びかける言葉ではないように感じませんか?

実際、先ほど上に挙げた歌で使われている「あなた」。

「あなた、変りはないですか……」
「あなたを待てば 雨が降る……」

 実際に目の前にいる相手ではなく、遠くにいる相手を目の前に思い浮かべながらの「あなた」です。
歌ってみればわかりますが、「あなた」という言葉に深みや広がりを感じると思います。

歌は目の前にはいないけれども、自分が思う相手に対して、思いや願いを込めて歌うことが多いので、日常生活よりも「あなた」がピッタリとはまり、使われることが多いのかもしれません。

さて、本書はこんなふうになんとも奥行きというか広がりを持つ「あなた」について、さまざまな角度から探求、哲学していきます。 そして、「あなた」という言葉から、人は個人で分けられるバラバラのものではなく、個人には世代を超えたつながりが内在するとして、子育てや家族の可能性を「あなた」という言葉から解き明かしていきます。

それは、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』批判、夏目漱石の『坊ちゃん』の新しい読み方の提示など、さまざまな小説・評論などを題材にしており、「哲学」とはいいながらも身近に感じながら読むことができます。

私が「そうだなあ」と思ったのは、おなじみの歌『こんにちは赤ちゃん』。

永六輔さんの作詞ですが、こんな歌詞です。

こんにちは赤ちゃん あなたの笑顔
こんにちは赤ちゃん あなたの泣き声
その小さな手 つぶらな瞳
はじめまして わたしがママよ

ここでも赤ちゃんへの呼びかけとして「あなた」が使われています。

中学生のときにこの歌を聞いた著者はこんなふうに書いています。
すてきな歌であった。この歌を口ずさんでいたときに、ふと「赤ちゃん」を「あなた」という呼び方で呼ぶことに中学生なりに不思議な感じを覚えたものである。なにもわからない子どもを「大人」のように「あなた」という丁寧な言葉で呼ぶことの妙な感じ。でも、中学生なりに、こういう「赤ちゃん」を「あなた」と呼ぶことはなにかしらぴったりするものがあるとも感じていた
さて、「あなた」はこの歌を聞いてどう思いましたか? 私は今子育て中で、しかももう数週間で二人目の子どもが生まれてくることもあってか、「あなた」と呼ぶことの違和感と、そのピッタリ感の両方がわかる気がします。だんだんと子どもが大きくなるにつれて、「あなた」という感覚が薄くなっているような、でも「あなた」という感覚もわかるような……

もし、あなたが赤ちゃんに「あなた」を感じるとしたら、
それはその赤ちゃんに「世代」を受け継いできた姿と、これからの世代を作ってゆくものの姿の、三重の姿を見て取っているからではないだろうか。そこに「あなた」として存在する赤ちゃんの神秘性がある。 
著者は「三世代存在」としてのあなた、「小さな一者」のなかに存在する「途方もなく大きなもの」と表現しています。

こんな存在の「あなた」から、子育てか家族というものを見直そうとしていきます。その際に著者が題材の1つとして使っているのが、『池袋・母子 餓死日記 覚え書き(全文)』(公人の友社編 196年)。

これは、1996年、池袋のアパートで餓死している母子が発見され、その母親が餓死する直前まで日記をつけており、それをまとめたもの。

著者はこの日記の内容、そして、そもそも餓死するような状態で、なぜ日記をつけていたのか、だれにあてた日記だったのか? を問いかける中で次のようなことに思い至ります。

ここには「ひとりで生きる」思いではなく「ともに生きる」思いがずっと紡がれている。それはまさに「世代を紡ぐ」ことの思いである。
(中略)
つまり自分と息子はつながっており、「世話」をするなかで「ともに生きるもの」として受けとめられていたのである。だから、最低限のお菓子でさえ、二人で分かち合って食べていたのである。
自分や息子を「殺す相手」と見ないというのは、どこかで相手を「世代を紡ぐ」もの、つまり「あなた」として見つづけることがあったからではないかと私は思う。

「あなた」。

改めて思って、そして呼びかけてみて、「あなた」はどんなことを感じますか?

本書にはそのほか、「あなた」論の先駆者であり代表者ともいっていい、『我と汝』の著者・マルティン・ブーバーも取り上げ、ブーバーに対するレヴィナスの批判、西田幾多郎の「あなた」論についても触れています。

読みやすく、なかなか刺激的な1冊です。
| 宇都出雅巳 | 哲学 | 13:03 | comments(0) | - |
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