宇都出ブックセンター

本が大好きな宇都出雅巳(まさ)が、本の紹介をしています。
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脳は文字を読むようには作られていない
 現代日本を生きるわれわれにとって、字を読んだり、本を読んだりするというのは、当たり前のことで、自然に身につくことだと思われているかもしれません。

でも、よく考えてみれば、昔はみんながみんな字を読めるわけではありませんでした。そしてさらにいえば、人間は字さえも使っていなかった時代があったのです。

本書は文字の誕生からそれが脳にどのような影響を与えたのか、そして子どもの脳はどのように文字を読み、本を読むために発達していくのか? 文字を読むこと、本を読むことが、脳をどのように発達させるのか? ディスレクシアと呼ばれる「読字障害」にも触れながら、解説していきます。

本書を読む中で、字や本を読んだりすることが、いかに当たり前ではないのか、そして脳のさまざまな部分が協力しあって読むことを可能にしていることがよくわかります。

私には3歳半の子どもがいて、まさに現在進行形で字を読む、本を読むのを学ぶプロセスを目の当たりにしているので、特に興味深いものでした。著者によれば、生後5年間の環境が、その子の読む力を大きく左右すると主張しています。
読字の学習は幼児がひざに抱かれて、初めてお話を読んでもらう時から始まる。生後5年間にそんな機会がどれほどあったか、なかったかが、後の読字能力を予測する最良の判断材料になる。(中略)ある著名な研究では、言語面で恵まれていない家庭の子どもたちと言語の刺激を受ける機会が豊かな家庭の子どもたちが耳にする単語の数には、幼稚園に上がるまでに早くも3200万語の開きが生じると確認されている。
同じ5歳の子ども。

脳の中はもちろんのぞけませんが、5年間の間に字を読むための発達においてかなりの差が生じている可能性があるわけです。もちろん、それが取り戻せないわけではありません。ただし、字を読むことが当たり前のことでないことをもう一度改めて思い出し、これだけの差がついている可能性があることを自覚すれば、子どもに接するときに「頭がいい・悪い」といった短絡的な判断をしないで接しられるようになるのではないでしょうか。

そして、現代。

字を読む中心としては「本」だった時代ではなくなっています。音声や画像などのメディア、そしてその記録。さらにはインターネットで流れる膨大な情報。そして、「本」自体も、amazon Kindle、apple のipadなど、電子書籍が広がり始めています。これが人間の脳にどのような影響を与えるのか。おそらく何らかの影響を与えるのに違いありません。

本書では、文字が生まれることで、それまでの口承文化が終わっていった歴史、そして、その象徴として古代ギリシア、特にソクラテスの主張を紹介しており、俯瞰的な視点を与えてくれます。

ソクラテスは、文字の出現、文字を書いて、それを読むということに大きな危惧を抱いたといわれています。それは、教師や社会の指導を受けることなく、知識・情報が伝わり、誰が読むのか、どんな文脈で読むのか、どう解釈するのかが問われなくなるからです。ソクラテスは次のように言っています。
 
物事をひとたび書き留めてしまうと、書かれた文章は、いかなるものであろうと、至るところに漂い出して、それを理解できる者だけでなく、関わりのない者の手にまで渡ってしまう。文章には、それを読むにふさわしい者とふさわしくない者をどうやって見分ければよいか、知る由もないからだ。しかも、誤用されたり、悪用されたりしたら、文章自体には防御する術も自力で切り抜ける術もないのだから、必ず、その生みの親が救いの手を差し伸べることになる。
これは、あなた自身、電子メールで文字でコミュニケーションすることが増えるなかで、思わぬ誤解が起きた経験からもわかるでしょう。そして、インターネットでどんどんと情報が公開される中、ますます、ソクラテスが言っている状況は広がっていると言えます。

もちろん、ソクラテスが言うデメリットだけでなく、メリットもたくさんありますが、「ペンは力なり」という言葉のように、文字というものがどれだけ強力であり、われわれ一人ひとりがその強力な道具を持っていること、その影響を自覚しなければいけないということでしょう。(こうやってブログを書いているのも文字のおかげですよね)

そして、何のための知識、情報かということも重要ですよね。よく、大学生が、論文の宿題で、インターネットにある関連論文を検索して、それをコピペする問題が騒がれます。昔であれば、図書館や本屋で本を探し、それを書き写したりしたことはあったでしょう。その作業プロセスとしては、ほとんど同じわけです。ただ、そのプロセスで、それを行っている人間にどんな変化が起きたかを考えれば、大きな違いがあります。ここでもソクラテスの問題意識は1つの指針になると思います。
ソクラテスにとっては、真の知識の追求は、情報中心に回るものではなく、人生の神髄と目的を見きわめることであった。こうした追求を続けるためには、この上なく深遠な批判・分析スキルを発達させ、とてつもない記憶力と時間を惜しまぬ努力によって個人的知識を内面化すべく、生涯にわたって取り組む必要があった。
何のための勉強であり、何のための情報収集、知識獲得なのか?

知識、情報があふれる現代でこそ、より問われるべきものでしょう。

そして、大事なのは字や本を読んだりすることを、一方通行のものと思わないことです。それは、脳やわれわれ人間との間との協働作業であり、常に変化するダイナミックなものです。
脳が読字に寄与し、読字が脳の認知能力に寄与するというダイナミクスの関係が存在する。
文章と人生経験の動的相互作用は双方向的だ。
われわれは本を読むことで脳を発達させ、自分自身を豊かにしていく。そして、そんな脳、自分が、さらに本を読むこと可能にし、読みとれる内容もさらに豊かにし、それがさらに脳を発達させ、自分自身を豊かにする。読書はそんな協働作業なのです。

私は「本」というものが大好きです。

本は、書店にいけば、買わなくてもすべての中身をチェックできます。近頃はやりの期待をあおって中身を見せない情報商材とは違います。そして、値段もお手ごろです。しかも図書館というものがあり、無料で借りることも可能です。

そして、「文字」というものが、具体的なモノ・コトをシンボル化して、扱いやすくしたように、「本」というものも、あるひとつの塊の情報をシンボル化して扱いやすくしたものです。それは、ただ開いて読むというだけではなく、まるで文字のように、さまざまに組み合わせたり、操作できるシンボルだと思います。

「文字」、さらには「本」というものを使いこなすことで、人間は大きな力を得ます。私はそれを実感しているので、できるだけ多くの人に「本」や「読書」のすばらしさとその幅広い可能性をしってもらえればと思います。ぜひ、「本」に心をさらわれてください。
私たちが本に心をさらわれると、本は命を持って、自らの命を生きる。読む者はその命の世界につかの間招かれた客であって、その反対ではない。
| 宇都出雅巳 | | 22:37 | comments(2) | - |
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ウルトラ・シンデレラさん

 コメントありがとうござい。

 ぜひ、また、本を読まれてのご感想など聞かせてください。

>あれ?ソクラテスは、直に対話するススメでしたっけ?

 そうですね。ソクラテスは直に対話するススメですね。

 ソクラテス自身は著作を残していないです。

まさ

| masa | 2010/04/07 6:21 AM |
おおお、たいへんに興味深いですね。
私も読んでみます。
ご紹介ありがとうございます。
あれ?ソクラテスは、直に対話するススメでしたっけ?
| ウルトラ・シンデレラ | 2010/04/02 5:11 PM |









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