宇都出ブックセンター

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カウンセリングはなぜ効くのか
 「カウンセリングとコーチングの違いは何ですか?」

多くの人から質問される問いです。

いろいろな説明パターンがあるようですが、私からすると「違いはありません」。

そもそも、カウンセリング自体がさまざまなやり方というか流派があります。カウンセリングといって、くくれるものなのか? ちょっと疑問です。コーチングにしても、さまざまなコーチングがあり、なんともいえないでしょう。

また、こんな問いだってあります。

「カウンセリングとセラピー(心理療法)の違いは何ですか?」
「カウンセリングと精神科診療の違いは何ですか?」

本書はカウンセリングの本です。しかし、この本の著者の『カウンセラーは何をするのか』の紹介でも言いましたが、ここで展開されているカウンセリングをコーチングに置き換えると、実際のコーチング体験や、コーチングをめぐる状況にかなり当てはまることが多く、恐ろしくなるほどです。

また、僭越ながら、本書の著者である氏原寛氏のカウンセリングにおける問題意識と、私のコーチングにおける問題意識が非常に重なるところがあります。たとえば、まえがきでかかれていること。
それは、日本臨床心理士資格認定協会が発足し、資格を認定された人がすでに3000人を超えた現在、心理士でないとできない、しかしクライエントにとっては不可欠のサービスが一体どんなことであるのか、ここいらで明確にしておく必要があると思うからである。
コーチングにおいても、臨床心理士にはその教育内容の量・質ともおよびませんが、コーアクティブ・コーチングの認定資格CPCC(Certified Professional Coactive Coach)があり、日本だけでも400人近いCPCCが生まれています。そこで今、一体CPCCとは何なのか? 何ができるのかがより問われていると感じています。

その一方で、コーチングはあらゆる人間関係のあらゆる場面に応用できるものですから、「コーチング的かかわり」や「コーチング的マネジメント」「コーチング的セールス」「コーチング的教育」などというようにということで広がっているため、コーチの専門性は薄れがちになっています。

 これと同じことが、本書が執筆された1995年(今から15年前ですね)ごろのカウンセリングにおいても起こっていました。「カウンセリング・マインド」という言葉が用いられて、親子、夫婦、教師・生徒、同僚などのあらゆる人間関係に適用しようという動きが起こり、それによってカウンセラーの専門性があいまいになったり、それぞれの人間関係が持つ独自の意味が見失われがちになったりしたことが、本書執筆の大きな動機だったようです。

ただ、本書を読んでいて気づいたのですが、上司・部下という関係にだけはカウンセリング・マインドを持ち込もうという動きはあまりなかったようですね。「カウンセリング・マネジメント」なんて言葉はなかったと思います。主には学校教育の分野だったようです。

昨今のコーチング普及においては、上司・部下の関係が大きな領域となっていたので、そこは大きな違いですね。しかし、そこにおいて、そこにかかわるさまざまな役割の独自性が見失われがちというのは同じことが起きているように思います。

役割分担ということでいえば、カウンセリングの臨床心理士は医者との役割分担・関係が大きな問題となっていました。医者から対等な専門家と見なされていないことが多かったのです(今でもそうかもしれません)。その理由について、著者はこう書いています。
こういうことになったのには、しかしカウンセラーの側にも責任がある。それは、自分たちがどんなことをしているのか、つまり、医師にはできない、しかしクライエントには不可欠なその仕事について、患者や医師やあるいは一般の人たちに納得できることばで説明することを怠ってきたことである。というよりも、残念ながらできなかった、といった方がよい。理由は、それだけの力が不足していた、といわざるをえない。心理士に何を期待すればよいのか、というのは多くの医師たちの素朴な疑問なのである。患者を任せると危機的な場面で投げ出すし、責任のない仕事をさせるとふくれるとは、しばしば耳にする医師たちの心理士に対するぼやきである。
さて、ひるがえって、コーチはどうでしょう? 医師に対してはもちろん、臨床心理士といったカウンセラーよりも教育の量が少ないのは事実です。また、いざとなればカウンセラー・セラピストといった「専門家」へリファー(紹介する)としています。で、コーチは今後、どのように向かっていくべきなのでしょう?

それには先輩ともいえるカウンセリングの歴史も参考になるでしょう。そして、本書は15年前のカウンセリングを取り巻く状況のなかで、著者が「カウンセリングでないとできない仕事」をより鮮明にしようしてかかれたのが本書です。現在のカウンセリングの状況とも照らし合わせて、本書を読むことで、コーチングがどうなっていくのか? どう進めていくのかがだんだんと明確になるように思います。

たとえば、医者と臨床心理士との役割分担、専門性でいえば、現在コーチが直面しているのは、企業におけるコーチングを行っているときの、上司、マネージャーとの役割分担、専門性でしょう。私自身、企業の中でコーチングを行う機会もよくあるので、そこは大きな課題のように思います。

特に、先ほども書いたように「コーチング・マネジメント」というように、マネジメント自体にコーチング的要素が求められている中、プロフェッショナルのコーチがどのように専門性と独自性を出していくのかが問われています。

1つは、トレーニング、研修の専門家としての位置づけでしょう。この分野ではトレーナーとか、研修講師といった「専門家」?がいますが、その中のひとつとしてコーチを位置づけていくことです。

実際、リーダーシップ・トレーニングとして、コーチングを受けることをとらえることはできると私自身も考えています。USのCTI(コーアクティブ・コーチ養成機関)では、コーアクティブ・コーチとは、”Transoformative Change Agent”(変容的な変化をもたらすエージェント)と位置づけることを打ち出してきています。(Transformative Changeというのは、「一皮むける経験」とでも表現できるかもしれません)。これも1つの方向でしょう。

コーアクティブ・コーチングの『コーチング・バイブル 第2版』(ローラ・ウィットワース他著 東洋経済新報社)では、「コーチングが世界にもたらすもの」ということで、次のような問いかけをしながら未来を描いています。
ここで、コーチングがほんの一握りの人たちだけでなく、すべての人にとって生活の一部になっているという世界を想像してみてください。つまり、コーチングの基本的なスキルや手法を、コーチだけでなく、世の中のすべての人が活かしている世界を想像してみてほしいのです。
おわかりのように、コーチングの専門性の確立というよりも、コーチングが一般化している未来です。

実際、コーアクティブ・コーチングのワークショップでも、あるリーダーは「矛盾するようだけれど、コーチという仕事がこの世からなくなったらいいと思う」と語っていました。つまり、日常のコミュニケーションにコーチングが浸透して、コーチングをだれも必要としない世の中を望んでいるということです。

この言葉に私も「なるほど」と思いましたし、多くの人が感動していました。ただ、自分もCPCCというコーアクティブ・コーチの資格をとり、CPCCを養成する側にも立ち、コーチという仕事してみると、別の思いが出ています。

「そもそも、コーチという仕事が世の中で成立していない」という現実です。

本書においてカウンセリングがそうであるように、その専門性、独自性の確立が十分されていないのではということです。

確かに、コーチングワークショップやコーチングという名のもとのコミュニケーションセミナーはビジネスとして成立し、それを開催するトレーナー、研修講師は増えています。その中に、コーチ養成のセミナー、ワークショップも含まれます。

ただ、「コーチという仕事」はどうか? 自分もコーチとして仕事とはしていますし、多くの人がこれで飯は食っていますが、まだまだなのように思います。コーチ個々人がマーケティングやセールスといったビジネススキルを活用することも大事ですが、そもそもプロフェショナルとしての専門性・独自性が何かを考え、もっと磨いていく必要があるように思います。

かなり、本書の内容とはずれて、自分自身の今の問題意識に振れてしまいました。ただ、そんなふうにいろいろとコーチングの今後を考えさせられる内容を本書は多く含んでいます。簡単に本書の内容を紹介しておきましょう。

本書は大きくわけると4つにわかれており、それぞれがカウンセリングの目的と著者が考えることに沿っています。 著書が考えるカウンセリングの目的は以下の4つです。

1) クライエントが自らの存在の意味を回復すること

2) クライエントがエロス−関係性を回復すること

3) クライエントが現実吟味能力を回復すること

4) クライエントが感情ないし主体性を回復すること


1)のために大事なのが、カウンセラーがクライエントトを「好き」になること。そしてクライエントと共にいることに意味を感じて、クライエントとの「意味ある共通空間」を作ることだといいます。クライエントを「好き」にならなければカウンセリングできないとまで言います。

ただ、ここで「好き」というのは日常関係の「好き」とはかなり違います。著者は次のように表現しています。
自分と同類の仲間が、自分とはまったく違う状況の中で悪戦苦闘している。そのことに関心を払わざるをえないということになろうか。
つまり、クライエントの中に自分を見出し、自分の中にクライエントを見出すことです。これはカウンセラーが自分がもっているコンプレックスに気づいていることでもあり、自分の内に開かれていることが必要です。そして同時に外にも開かれることでもあります。内なるものは外のものに象徴されて初めて出会うものだからです。

2)は、「種のプロセスの復活」という表現も行っていますが、ここでは「種のレベル」「個のレベル」という二つのレベルが強調されています。種のレベルでは本能として、他の個体と感応しあうものであり
、人間は一人では充足できず、他者とかかわることで初めて充足されると考えています。

しかし、ご存知のように今では「個」が強調されています。そこで「種」が失われてしまっているのです。この「種」の感覚、簡単にいえば「連帯感」をよみがえらせることがカウンセリングの目的のひとつなのです。ではそのためにカウンセラーは何をするのか? 
そのためには、まずカウンセラーがクライエントとのつながりを感じなければならない。それが、他ならぬ眼前のこのクライエントにカウンセラーが動かされることなのである。(中略)動かされていることに気づかねばならない。
それは、おのれの内的プロセスにどれだけ敏感であるかによって決まる。
ただここでのつながりはあくまで「種のレベル」であるのがとても大事ななところです。「個のレベル」ではクライエントに動かされないで、あくまでも職業的なカウンセラーとクライアントにとどまることが必要です。これは3)にも絡むのですが、現実的な枠をしっかりつくっておくことが必要です。

これはカウンセリングの関係を、「作られた不自然な関係、だからこそ専門的な関係」にしておくことです。具体的には料金や時間を決めたりするといった制限をつけることです。これによって、そのほかの日常の人間関係とは「異質の”日常”関係」と位置づけるのです。

エロスー関係性の回復にともなって、クライエントは「種のレベル」だけでなく「個のレベル」で現実化しようとします。その際に、もろもろの日常的人間関係を通してこそ満たされるべきものを、カウンセリング関係によって満たそうとすることもあります。こういった制限、枠がそれを防ぐことになります。

そして、同時にこのようにカウンセリングが契約関係であり現実的なものであることが、3)のクライエントの現実吟味能力の回復につながるのです。

そして、つながろうとするクライエントの内的要求には、それを肯定しつつ、クライエントの現実的人間関係で生かすように勧めます。そこではカウンセラーの現実的介入が必要となってきます。
ある意味で、非常識のレベルから常識のレベルへ、あるいはより深いレベルからより浅いレベルへの転換が生じるのである。
ただし、カウンセラーがすべてできるわけではありません。だから介入といっても、クライエントの人間関係に割り込んで、代わりを務めることではないのである。ただ、クライエントの状況、そしてカウンセリングで目ざしていることなどについて、それぞれの立場にある人たちに説明するのである。このようにカウンセリングの関係は「種のレベル」と「個のレベル」が絡み合い、カウンセラーもそれを区別しつつ対応することが求められ、確かにとんでもない専門性が必要とされることがよくわかります。
種のレベルで感じあうことに注目すると、カウンセリング関係は日常の人間関係よりもはるかに深い関係である。しかしお互いの個々の状況は、職業的な契約に基づく表層的なものにすぎない。深さにこだわるとつい”裸の”人間関係などと思いたくなる。職業的な面にこだわると、お互いのつながりが感じられない。しかし実は表層的な形があるからこそ、深く感じあうことができるのである。
ここの説明で自分でもスッキリしていなかった点がスッキリした感じがします。コーチングにおいても、契約関係を結ぶことに何かよそよそしさ、水臭さを感じて、コーチングの内容とその形式がなんだかそぐわない気がしていました。でも、水臭い形式だからこそ、その中身が深いものになる。まさに、ほかの日常の人間関係とは全く違う役割がコーチング関係にも求められているし、果たせるのではないかと思いました。

そしてまた、その契約関係という枠があったとしても、カウンセリングと同様にコーチングが「種のレベル」で深く入るのであれば、コーチの強い自己管理能力が問われるでしょう。ましてや、契約関係なしで、安易にコーチングをやろうとしたときに何が起こるかは恐ろしくなります。
カウンセラーは、親的、恋人的、友人的な情動を個別化しようとしない。それらの要素をすべて含みながら、なお、未分化な、しかしそれだけに深いレベルで、人間仲間として感じるのである。そしてカウンセラー自身のクライエントとの個別的・現実的な状況とは、契約に基づく職業的関係にとどまる。だからその面だけに注目すれば浅いのである。先の、情動の現実化・個別化のプロセスを、成熟ないし深まりとしてとらえるならば、カウンセリング関係にはそれがないのである。もちろん、種のレベルでクライエントを感じるためには、日常関係以上のコミットメントが要る。さらに、にもかかわらず日常的・個別的関係にとらえられないためには、常人以上の現実吟味能力が必要である。
ここまで読んでみると、冒頭に書いたように私が以前まで「カウンセリングとコーチングに違いはありません」と答えていたことを撤回しなければと思い始めてきました。ここまでの専門性や認識能力、自己管理能力をコーチングでは訓練しているだろうか?と

もちろん、すべてのカウンセリングやカウンセラーがこのレベルに達しているかどうかはさておき、コーチングにおいて、こういった面にまで目を向けているだろうかというと不十分さを感じます。もちろん、コーチングがカウンセリングレベルになる必要があるかどうかわかりません。ただ、コーアクティブ・コーチングは「大きな主題」というコンセプトや「人生全体を取り扱う」ということを掲げている以上、カウンセリングで行われていることもある程度取り込んでおく必要はあると思います。

コーアクティブ・コーチングでいうと、Designed Allliance(意図的な協働関係)やSelf Management(自己管理)に絡むところでしょう。本書で取り上げられている「種のレベル」「個のレベル」というフレームワークをどのように消化していくかも課題といえます。

さて、最後の4)ですが、このためにはカウンセラーの共感性が必要とされると述べられています。ただし、共感といっても著者、よくある「共感」とは違うことを強調しています。

よくある共感というと、「カウンセラーがあたかもクライエント自身であるかのごとく、クライエントのいま・ここで感じ経験していることを感じとること」といわれていますが、著者は次のように言います。
クライエントのいま・ここの状態と、クライエントが現実におかれている状況について、クライエントが納得することなのである。
また、次のようにも言っています。
共感するために、カウンセラーはおのれの枠組みを捨てなければいけない、とよくいわれるが、おのれの枠組みなしには共感どころか現実的な方向性させ見失って、カウンセリングどころの話ではなくなってしまう。
このことは、カウンセラーにおのれの価値観を押しつけてはならない、というよくいわれる議論についても当てはまる。おのれの価値観を押し付けないということがすでに一つの価値観だからである。
さて、長々と書いてきましたが、なかなか刺激的な内容です。そして、コーアクティブ・コーチングでいうと、あまり重視されてこなかったというか、地味な部分にスポットや重要性があてられていると思いました。

すでに書いたように、Designed Alliance(意図的な協働関係)しかり、Self Management(自己管理)しかり。

そして、本書ではカウンセラーとして自己の内的プロセスに気づくことの重要性が再三語られていますが、これは、Listening(傾聴)のレベル1のところにあたるように思います。従来、コーチングでは、クライエントに意識を向けることの重要性が強調され(もちろん大事なことですが)、コーチ自身が自分自身に意識を向けて内的プロセスに気づくことはあまり言われていませんでした。せいぜい、サボタージュという自己制限的な思考にやられていないかぐらいでした。このあたりも面白い点だと思っています。

200ページ足らずの本で、文字も割合い大きく、文章も平易ですが、濃い内容です。プロのコーチの方、それを目指しているかたにとってはとてもピンとくる内容だと思います。
| 宇都出雅巳 | コーチング | 10:55 | comments(0) | - |
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