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コーチングは宗教か? コーチは民間宗教者か?
内田 樹,釈 徹宗
講談社
¥ 1,575
(2010-02-23)

 『日本辺境論』で完全にブレイクした感のある内田樹さんですが、その視点は面白いというか、自分がなんとなく思っていたことを見事に言語化してくれるというか、読んでいて頭が刺激されます。

本書は、その内田さんが、浄土真宗のお坊さんである釈徹宗さんと、神戸女学院大学で行った対談形式の講義をまとめたものです。

「霊性」、英語でいうと「スピリチュアリティ」、「宗教」。さらには「霊」そのものなど、「霊」にまつわるさまざまなテーマがこれでもか、これでもかと出てきます。

 ちょっと目次の章タイトルを挙げておくと、

  第1章 霊って何だろう?
 
  第2章 名前は呪い?

  第3章 シャーマン、霊能者、カウンセラー−−民間宗教者のお仕事

  第4章 スピリチュアルブームの正体

  第5章 日本の宗教性はメタ宗教にあり

  第6章 第3期・宗教ブーム−−1975年起源説

  第7章 靖國問題で考える「政治と宗教」

  第8章 宗教の本質は儀礼にあり

  第9章 宗教とタブー


この目次をみてもお分かりのように、「宗教」という言葉がかなり出てきます。

なので、「宗教」って何だろう? という本でもあるのです。


私はコーチングなる新たな?(古い)職業に携わっていますが、この「宗教」なるものとかなり近い領域の仕事です。

自分自身、「宗教」的なものに引かれながらも、組織としての宗教などに違和感を感じ、カウンセリングやコーチングに行き着きました。

なんてことを言うと、引く人も多いかもしれません。 「宗教」って危険なイメージがありますからね。

実際、「コーチングって宗教みたいですね?」と言われる(いい意味ではなく)ことがよくあると聞きます。

「いや、宗教じゃありませんよ」とコーチの人はもちろん答えるわけですが、じゃあ、宗教とは何かをある程度わかっておかないとあまり説得力がないような気がします。

そんなことからも、コーチの人も、本書などを読んで、「宗教」なるものに軽く触れておくのもいいでしょう。

で、そもそも「宗教」て何でしょう? 釈さんによると、宗教学では機能論で宗教を考えるのが盛んだそうです。 その宗教の機能というのは……




  1) 受容/安定機能 −−人間が生きていくうえでの不条理な苦しみをいかに引き受けるかという機能
神というものの存在によって、自分が自分だけの存在ではなくなる。来世とか浄土、天国があるkとによって、世界がこの世だけではなくなる。つまり、この世と自分を相対化することができる。相対化のプロセスによって不条理な苦しみを引き受けて、生き抜き、死に切る。これを宗教の受容機能と読んでいます。
2) 自律/創造機能−− 従来の枠組みを壊して再構築する、もっとクリエイティブな方向に、社会を変革したり、家族から離脱しようという機能

3) バインド機能−−コミュニティや共同体を維持する機能


 さて、この機能から見たときに、コーチングも「宗教」と言えなくもないわけです。 また、会社やビジネスなんかもある意味「宗教」といえるわけです。

 ただ、私としては、いわゆる新興宗教をはじめ、組織としての宗教という意味で、コーチングやCTI(私が学び教えたコーチ養成機関)は宗教ではないと思いますし、そうなっては存在意義がないと思っています。


 ちなみに、私は宗教をもう少し表面的な次の3つの機能で昔から見ようとしていました。

 1) お金儲け

 2) 病気治し

 3) 人間関係改善

 これは、人が宗教に入るきっかけが、「貧・病・争」であるといわれていることから、単純に思いついただけですが。(文字通り、貧乏、病気、そして争い、特に嫁姑の争いですね)

 ただ、これはよく考えれば機能というより、セールスメッセージですね。本当にこの機能を果たしているかというと、かなり疑問符がつきますが。。。

 カウンセリングにしても、コーチングにしても、やはり同じようなきっかけで受ける人が多いのではないでしょうか?

 
 宗教は「バイブル商法」「霊感商法」なんていうこともいわれるように、ビジネスともかなり結びついています。

 宗教からいろいろ見えてくることはあるので、こんな本も読んでみてください。

 あと、いくつか、内田さんの視点で、なるほどなあと思ったことをいくつか。

 ひとつは子育てについて。

 内田さんはシングルファーザーとして、12年間は子育てに専念して、学者らしい仕事はほとんどしなかったそうです。

 その体験から、行政の子育て支援の前提にある、「出産・育児は苦役である。できれば避けたい不快なことである」を批判しています。

 私自身、ここ3年ほど、子育てというか子遊び?にかなりの時間を割いているので、同感し、かつ勇気づけられました。 やはり、もっと仕事しなくてはならないのでは……なんて思い勝ちでしたから。
若い頃は、業界的に成功したい、有名になりたいという世俗的な野心にけっこう悩まされていたんです。でも、実際に子育てしているときには、そんな俗情はきれいさっぱり忘れてしまった。だって、育児って待ったなしでしょう。やるべきことが次から次にあって、それを終えると、もうほっとしちゃって、自分がやるべきことは十分に果たしたという充足感があるから、それから本を読もうとか、論文を書こうなんていう気になれやしません。

 だから、子育てが終わって、娘が東京に去って、「さて」と研究に立ち戻ったときはほんとうに新鮮でした。若いときの勉強というのはかなり苦役というか義務感があったんだけれど、子育ての後の勉強はもう楽しくて楽しくて。それに、それまでいくら読んでも歯が立たなかった難解な本がところどころわかってきた。「ああ、そういうことか・それなら知っている」というふうに。これにはびっくりした。
 
 でも考えてみたら当たり前で、哲学って、人間はどういうふうに生きるのか、どんなふうに人を愛したり憎んだり、理解したり誤解したり、成熟したり、成熟に失敗するのかといったことについての根源的な考察なわけじゃないですか。子育てのような本質的経験をして会得した人間についての考察が、哲学の理解を深めないはずがない。
最後に、学生からの「チャネルが開く」ということに関する質問について答えるところで、「自分のヴォイスが見つかる/見つからない」という村上春樹の表現も駆りながら、語ること、そして響きのいい場所で語ることの効用を、まさに語っているところから。
不思議なことなんですkれど、声のとおりのいい、響きのいい場所でしゃべっていると、言っていることが自分で聴いても賢そうに聞こえるんですよ。そうするとどんどん舌が回って、思いがけないアイディアがわきだしてくる。逆に変にエコーがかかっている場所だと、自分の声が耳障りで言葉に詰まってしまう。
これは語ることだけでなく、書くことでもいえますね。書き心地のいい紙とペン、タッチのいいキーボードど見やすいディスプレイなど、そうやって書いていると、だんだんと乗ってくることはよくあります。

なんだか、「霊性」とは全く違った話に最後はなってしまいましたが、それだけ日常と結びついているということともいえるでしょう。
| 宇都出雅巳 | 宗教 | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
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