宇都出ブックセンター

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瞬間を生きる哲学−−<今ここ>に佇む技法

プロローグ 瞬間という聖地」の冒頭で、著者は「この本で明らかにしたいこと」として次のように述べています。

いまこの瞬間のなかにすべてがある。少なくとも、大切なものは全部でそろっている。

人生の意味も美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも。

だから瞬間を生きよう。先のことを想わず、今ここのかがやきのなかにいよう。

 そして、続けて、本書の内容について次のように書いています。

いかがわしい。調子よすぎる。そう。いまは思われるかもしれません。ですが以下、この本をお読みいただけば、どなたも納得できる簡素な事実を、のべているまでのことです。
 なぜそういえるのか。たとえそうだとして、なぜふだんぼくたちは、そんな瞬間のかがやきを目撃することなく生きてしまうのか。瞬間を生きるには、どうしたらよいのか。そもそも、瞬間(いまここ)とはどういう時なのか。そんなことを、どなたも実感できる言葉で書きしるすこと。それが、この本の具体的な内容を、かたちづくっています。

 まさにここに書かれているように、本書は、瞬間についていろいろな角度から、そしていろいろな素材を用いて光を当てていきます。

 これでもか、これでもかと「瞬間」についての記述が続きます。私にとって、それはあまりにもまぶしく、ちょっと目があけられないほどでした。そのためか、すぐには本書の内容はしみこんできませんでした。この本を何回、何十回となく読み返し、瞬間の光のまぶしさに慣れてようやく、落ち着いて本書を読めるようになった気がします。

 私はそうでしたが、なんだかこの本にとっつきにくい人は最後の「エピローグ ルーナの告白」から読むといいかもしれません。

 ここは、説教くさい?と思うほどの内容で、あまり瞬間のまぶしさに当てられずに楽に読むことができます。そこからだんだんと、本書の中にわけいっていけばいいでしょう。

 私が本書の著者に引かれたのは、ハイデガーの哲学を説いた『ハイデガー 存在神秘の哲学』(講談社現代新書)でした。それは、「存在」なるものを流れるような展開と、しかも同時にドカーンとブロックで頭をなぐりつけるような衝撃を持って伝える本でした。

 本書もどこか『存在神秘の哲学』のような流れと「ドカーン」を期待していたのかもしれません。でも、まったくその期待は裏切られ、真逆のような印象を受けました。それは「存在」と「瞬間(今ここ)」というテーマの違いから現れてくるものかもしれません。

 なお、『存在神秘の哲学』のテーマは本書のエピローグに登場し、瞬間(今ここ)というテーマと交錯します。そして、丁寧にも次のような説明までが加えられています。 

存在が無根拠だということは、《万物はいあさかも必然的な理由や目的もないのに在る》ということを意味する。つまり、「存在の根本偶然」を意味する。

 存在が偶然(非必然)だとすれば、論理的には、「万物は無くてあたりまえ、無いことこそオリジナル、在るなんてことがむしろ異様、なのに在る」ということになる。もし必然的な理由や目的があって、なにかがこの世に登場したのなら、それが在るのはごく当然なことになるからだ。

 だが幸か不幸か、そんな必然性が原理的にないというのが、存在の無根拠性。だから、在るなんてことは、論理的にはとても異様なこと、むしろ無いこと(非在)のほうが理屈としては当然(=無理がない)というわけだ。

 しかし理論上は、在るはずがない、非在の方が自然だとどんなに言い張っても、現にまぎれもなく(事実)として、在るはずのない膨大な事物事象が、だれしもの今ここに<在る>。

 論理的にみて「在るはずのないことの実現」を、奇蹟とか神秘と形容することはゆるされよう。だとすれば、なにかがこうやってあたりまえのように<在る>ことそのことは、極度に稀有で奇蹟的なことだという論理的結論になる。

 在ることの、そのような極度の稀有さ・在りえなさを、一言で存在驚愕という。

この「存在」の不思議さ、「存在驚愕」についてもっと知りたい方は、『ハイデガー 存在神秘の哲学』を読んでみてください。

 私が学び、実践している「コーアクティブ・コーチング」生きる指針として「3つの指針」なるものがあります。

 その一つが「プロセス」

 これは、今ここ、この瞬間を徹底的に味わいつくして生きるという指針です。

 そのためには、どんな感情も、そして自分の嫌いなもの、避けているものも含めて受け止める、さらには自分の一部として受け入れることを行っていきます。
 『ハイデガー 存在神秘の哲学』や本書を読む中で、この「プロセス」という指針の意味がよりよく、深くわかった気がします。

 末期の眼で見ればすべては美しい

 この世を去るときに見えるものはすべてがかけがえなく、愛おしく思えます。もしそんなふうに一瞬一瞬を感じながら生きられたら、毎日、そして人生はどうなるでしょう?

 何かを求めようとか、そんなことを思わないのではないでしょうか?

 末期、死ぬときなんて言われてもピンとこない人は、引越しするときの気持ち、旅をしているときの気持ちを思い出せば少しはわかってもらえるかもしれません。

 私は10年ほど前にアメリカ・ニューヨークに2年間留学しましたが、最後の1年間は毎日毎日、そして見る風景がとても愛おしく思えたものでした。もう、卒業したら日本に帰国して就職することが決まっていたので、「1年後の今日にはもうこの街にはいない」と日々感じていたからです。

 だからといって、日々の雑事がなくなるわけではなく、生きるためにあれこれ算段したり、つまらぬことで怒り、悲しむこともなくなるわけではありません。

 ただ、この瞬間「今ここ」ということにもっと目を向けることでもっと人は豊かになり、幸せになり、そして社会も生きやすくなるのではと思います。

 エピローグの最後に著者は次のように述べています。

最後に。二者択一ではない。瞬間を生きるのか、生きないのか。そんな無骨な二元論を説いているつもりはない。プロの作家や宗教家ではないのだから、四六時中、瞬間を生き、レアリテ、真の生に見開かれている必要なんかない。

 今この瞬間が生起してくる、その刹那の存在の事実の凄さ(存在神秘)をとくと味わってみる。こうして生まれ生きて死ぬ、存在の事実の神秘(理屈では在りえないことが実現していること)に、暫し撃たれてみる。とりあえずそれで十分だろう。生を肯定し、こころからなる元気を取り戻せたなら、またふたたび時刻社会へ復帰したらいい。あるべき未来や、なすべき事業に――今度はなに憚ることなく思いっきり――邁進なすったらいい。

 コーアクティブ・コーチングの生きる指針には3つあると書きましたが、プロセス以外の二つは、ある意味、「イケイケドンドン」的な指針です。自分の価値観を尊重し、自分が目指すところに向かって生きていく。自由自在に視点を変えつつ、とにかく前に進む行動を起こしていくといった指針です。

 「イケイケドンドン」だけでもない、しかし、「瞬間いまここ」だけでもない。 両方を抱えつつ生きていくことがこの人生を思う存分生きる秘訣のように今は思っています。

 最後に。。 本書の面白いところは、詩的なようで、瞬間(いまここ)にいるための具体的な技法を挙げていることです。8つあります。

 技法0:苦行の一分間
 技法1:魔法のトンネル
 技法2:つねる 痛みの現場
 技法3:まずは沈め
 技法4:現在地を生きる
 技法5:サティする
 技法6:超スロー歩行
 技法7:何もしない
 技法8:吸って吐く

こんな技法から入るのも一つの本書の読み方かもしれませんね。

最後に。。と書きながらもう一つ。技法7「何もしない」で、今は亡き河合隼雄さんの言葉を引用しています。

 河合さんは、人間は「ある人」(human being)なのに、「する人」(human doing)になっているといっていたそうです。

 そして、河合さんと将棋棋士・谷川浩司さんとの対談本から引用されている文章がこちら。

「私はこれこれをしています」ということばかり気にしている。本当はそれ以前に、もっと大切なこととして、「be」、つまり「私はここにいます」、「ここに存在しています」ということがあるはずでしょう。それなのに、人間として「ある」ということに満足してボーっとしている人はめったにいない。みんないつも「何かをしなくては」とくあくせく動き回って、「俺はこれをやったぞ」といったアピールばかりしているわけです。

おそらく、人間は「ある人」でもあり「する人」でもあるなのでしょう。 でも、確かに今は「する」にばかり注目していますよね。

相手を見るときに「この人、何をしてくれるんだろう?」と思うことはあっても、「この人、どんなふうにいてくれるんだろう?」とは思いませんから。。

仕事を「する」ことには役立たないのは確実ですが、人生においてどう「ある」かにはとてつもなく役立つ一冊です。

| 宇都出雅巳 | 哲学 | 10:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
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吉尾さん

 コメントありがとうございます。 亀レスですいません。

宇都出
| 宇都出雅巳 | 2012/01/26 3:35 PM |
もう20年も前のことだけども、トレーニングを受けている最中に、「俺はここで何をすればいいのですか?」と質問したことがあって、その時「あなたはここにいればいいのですよ」と言われたことがあってね。

その時の俺は何かをして、その先の結果をつくることに意識が集中していて、その場に「いない」ことをフィードバックされたんだよ。

哲学的なことはわからんけれど、そのことを思い出した。大事なことです。ありがとう。

それからリンク貼ってくれて、おおきにです。
| 吉尾 | 2011/11/23 1:26 AM |









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