宇都出ブックセンター

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ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想
 <意識>は脳内のマジックショーに過ぎない、

こうしたうえで、

<意識>には人生を生き甲斐のあるものにする効能があると説いている。
発達史からわかるのは、意識が三つのレベルで一生をいっそう生き甲斐のあるものにすることだと思う。意識ある生き物は現象的意識を持つことを楽しむ。彼らは自分が現象的意識を持って生きている世界を楽しむ。そして彼らは現象的意識を持っている自己を楽しむ。ただし、「楽しむ」という言葉は弱過ぎる。少なくとも人間の場合は次のように言うほうがふさわしいだろう。人間は現象的意識を持つことを満喫する、自分が現象的意識を持って生きている世界を愛する、現象的意識を持っている自己を尊ぶ、と。

もう少し噛み砕いて、どんな喜びかというと


 1) 「自分は存在しているんだ!」「生きているんだ!」という実感・喜び

 2) 「なんて美しい世界に囲まれているんだ!」という実感・喜び

 3) 「この世界は自分が創り出しているんだ!」という実感・喜び


著者はたくさんの詩も引用しながら、<意識>賛歌、<人生>賛歌を歌い上げています。

それは、さまざまな宗教で語られる体験や、いわゆるスピリチュアル経験と重なります。

私が学び・実践しているコーアクティブ・コーチングでいえば、3つの指針のうち「プロセス」にあたるものといえます。

こうして、<意識>の持つ意味を解き明かし、さらには「死」というものにも考察を加えていくのですが……

 ただ、どれだけの人が上に挙げたような3つのレベルの喜びを感じているのでしょう?

ほとんどいないのではないでしょうか?

だからこそ、宗教やスピリチュアル、さらにはコーチングなどでもわざわざ語られるわけです。

さらにいえば、<意識>によって喜びや人生の生き甲斐をもたらす可能性がある一方で、逆に働ければ苦しみや人生の絶望をもたらす可能性もあります。

たとえば、「自分が存在している!」と喜ぶというより、「なぜ自分は存在しているんだ……」と嘆く人もいるでしょう。

自分の周りの世界を体験しながら、「こんな醜い世界!」と落ち込む人もいるかもしれません。

そして、「すべては自分が創っている」ということが許せない、もしくは受け入れきれない人もいるでしょう。

そんなところが何かスッポリと抜け落ちている気がします。

自分も著者のいう3つのレベルを否定しているわけではありません。

それは「プロセス」の指針を自分が生き、コーチングの中でそれを伝える中で実感していることです。

ただ、そんなに簡単なもの、単純なものではない気がするのです。

なお、自分がとても興味深く感じたのは、3つのレベルの2つめの、世界を<意識>が実感し、体験することの説明

そこでは、このブログでも紹介したことがある「ラバーハンド錯覚」が引用されていました。 ラバーハンド錯覚とは、ゴムの手を自分の手と錯覚してしまう現象です。

 → 『ソーシャルブレインズ−−自己と他者を認知する脳

著者は、ラバーハンド錯覚に続けて行われた実験も紹介しながら、周りの世界に自己が拡張し、世界を実感していく様子を解説しています。
 だが、肝心なのは次の実験だ。ゴム製の手が視野になく、実験者が本物の手と、テーブル上の一点を同時に軽く叩いたり撫でたりすると、Sは今度はそのテーブル上の一点で感覚が起こっているように感じると報告する。そればかりか、絆創膏を本物の手とテーブル上の一点に貼りつけておいて、テーブル上の絆創膏を急に剥がすと、Sは痛みを予期しているかのように感情が変化し、それが皮膚の電気抵抗の変化として表れる。
そして、これを触覚だけでなく視覚にまで広げて説明していくのです。

この展開は自分としてはかなり衝撃的でそして納得いくものでした。

自分が速読訓練の中で身につけていった「本の文字に目で触りながら読む」感覚や、コミュニケーションでよく起こり、意図的に用いられる「ミラーリング」(相手の身体の動きや姿勢と同じ動き・姿勢をとること)のメカニズムもよりわかりました。

少し補足説明すると、上に引用した「絆創膏を本物の手とテーブル上の一点に貼りつけておいて、テーブル上の絆創膏を急に剥がす」実験をさらに進めて、これをすべて想像で行うことをするのです。

つまり、目の前のテーブルのある点に絆創膏が貼ってあると想像し、そこから剥がすことも想像します、そして同時に、自分の手の一点で絆創膏が貼ってあって剥がされることも想像するのです。

そうすると、まるでテーブルが自己の一部となり、そこで触覚を感じているように思えてきます。さらに、この体験によって、さらにテーブルとの一体感や感覚が強化されていくのです。

このあたりについてはまた改めて解説したいと思います。
| 宇都出雅巳 | | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
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