宇都出ブックセンター

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『関わりあう職場のマネジメント』
JUGEMテーマ:読書
タイトルの「関わりあう」という言葉と帯にあった「第56回日経・経済図書文化賞 受賞!」という言葉につられて買って読みました。

統計調査による実証分析のところはさておき、それ以外のところは非常に読みやすく、自分が社会人になったころから抱えているテーマにも共鳴し、本当に「あっ」という間に読んでしまいました。

なお、「自分が社会人になったころから抱えているテーマ」というのは、組織(集団)と個人の関係です。

もともとは個人のために生まれたはずの組織が、なぜ個人を抑圧したり、その可能性を阻害する方向に働くのか?
どうやったら個人も組織もその本領を発揮するためにサポートし合えるようになるのか?

会社に入ってそのことが頭から離れませんでした。

そこから労働組合にかかわったり、
そこで燃え尽きて会社を辞めて、今度は組合のない会社を選んで転職したり……、
コーチングなどコミュニケーションを学んだり……、
そして10年前には独立して、自営で仕事している自分がいます。

独立しても、本を書いたり、1対1の電話コーチングをしたりなど、直接的に関わる人が少ない仕事をする一方で、
管理職研修など組織の中でどっぷりと働いている人にも関わってもいます。

さて、私の話はさておき、本書が伝えたいメッセージ(検討する基本仮説)は、
「仕事上相互に関わりあうことが多い職場は、仲間を助けること(支援)、組織のルールややるべきことをきっちり守りこなすこと(勤勉)、そして自律的に仕事のうえで創意工夫すること(創意工夫)を職場のメンバーに促す」(P3)
こと。

なお、タイトルにもあるキーワードの「関わりあう職場」というのは、
「規範を共有し、お互いの仲がよいといった閉じた共同体を意味せず、目標を共有し、仕事上相互に関わりあうように設計された職場」(P3)
なので、この点は誤解ないように。

実はここで「閉じた共同体」という言葉が出てきていますが、「閉鎖的な」共同体(コミュニティ)か「開放的な」共同体(コミュニティ)かも本書が伝える大きなポイントでもあります。

少し引用すると、
「本書が想定する職場のコミュニティは開放的なコミュニティである。開放的なコミュニティは、固定的なメンバーによるコミュニティに根づいた規範や規律ではなく、流動的なメンバーによる相互の対話によって規律や規範が形成されるコミュニティである。」(P229)

この「流動的なメンバーによる相互の対話によって規律や規範が形成される」の「相互の対話」というのに引かれますね。つまり、ここの「規律や規範」は静的なものではなく動的なものなわけです。

もう少し具体的に言うと、
「開放的なコミュニティでは、新しいメンバーを含め、常にそれぞれの価値観や主張が対話され、そこに規範や規律が生まれることになる」(P229)

「対話」といえば、ナラティヴであり、コーアクティブ・コーチングの先輩である加藤雅則さんが『自分を立てなおす対話』という本も書かれていますが、「対話」を組織に持ち込み、個人と組織の間をつなぐ取り組みをされています。

 参考記事→ ナラティヴ・アプローチ

また、この「閉鎖的コミュニティ」と「開放的コミュニティ」という話は、このブログでも以前かなり取り上げた広井良典さんの考えにもつながりますね。

 参考テーマ→ 広井良典

少し、脇にそれてしまいました……。

さて、先ほど述べた本書の基本メッセージに戻ると、この基本メッセージは二つの矛盾を表現しています。

● 一つは、自律的に行動するという個人主義的な行動のために、自己完結的な仕事の設計ではなく、「関わりあう」という集団主義的アプローチを取るということ。

● もう一つは、「創意工夫」という、いわば「職務上やるべきことして明確に定められた役割」ではない行動をマネジメントするということ。「本来管理者がコントロールする範囲の行動ではない。このような行動を実行するようにコントロールするのも矛盾する話」でしょう。

しかし、これは私の25年にわたる社会人生活のなかで、実感してきたことであったり、重要なことであったりするのです。おそらく、これを読んでいる方もうなづく人が多いのではないでしょうか。

このように、本書は現場で働く人(私だけかもしれませんが)が抱えているテーマにドンピシャで焦点を当てているのです。

そして第1章では「タマノイ酢」のインタビュー調査を紹介していますが、

私が面白かったのは次の第2章「協働と秩序と自律」で、公共哲学の視点を取り入れて語っているところ。新たな言葉を知って、視野が広がった気がします。

まずは、秩序と自律という相反するように思われる二つの関係を語る「逆転共生」という言葉。
「逆転共生の関係とは、ある程度まではお互いを高め合う関係にあるが、どちらかがある一定程度を超えてさらに強くなると、他方が弱体化しはじめ、両者は相反する関係になることを指す」(P51)

もっと具体的に言うと、
「あるレベルまでは自律を高めることが秩序を高めることにつながり、逆に秩序を高めることが自律を高めることにつながるが、秩序と自律のどちらかが一定レベル以上になると、逆に秩序を高めることが自律を抑制し、自律を高めることが秩序を破壊するといった関係である」(P51)

こう書いてしまうと、「当たり前じゃん」と思うかもしれませんが、これまで、なんとなくしか説明できなかったことを「逆転共生」という言葉が与えられたことで、より自分のなかで考えが整理できるようになりました。

その結果、秩序と自律といったこれまで相反する、矛盾する関係のように思っていたことを、より効果的に活かせると思います。

もうひとつは、「組織−個人」の二分法ではない、「組織−職場−個人」の三分法

これは公共哲学において「公−私」の二元論の限界を乗り越えるために、「公−公共−私」の三元論で考えるところからヒントを得たそうです。

公共哲学では「滅私奉公」もその逆の「滅公奉私」も「公共性」を欠くという点では同じ穴のムジナであり、「活私開公」なる新たな関係が提示されているといいます。
孫引きになりますが引用しますと
「活私開公は『私という個人1人ひとりを活かしながら、人々の公共世界を開花させ、政府や国家の公を開いていく』ような『人間−社会』観である」(P57 『公共哲学とは何か』(山脇直司著 ちくま新書)P37)

二元論ではなく、その境界領域を設定した三元論というのは非常に面白く感じました。

ただ、正直言うと、まだ腑に落ちていません。

実務上、こういう境界領域というのは存在し、それが大事なのはよくわかるのですが、ある意味、そこに矛盾や問題点が集約される面もあるので。

「職場」なるものが「公共の場」なのか、そうなりうるのか、それを設定することで、解決するのかどうか、あまりまだ実感がわかないところです。ただ、さらに考えていく足場というか糸口は与えてもらった気がしています。

公共哲学なるものにもがぜん興味がわいてきましたね。さっそく、山脇直司さんの本は読んでみたいと思います。

さらに第3章「上からのマネジメントと下からのマネジメント」は経営管理論の視点からみたものですが、これもなかなか興味深かったです。

その中でも興味を引かれたのが、「協働的コミュニティ(collaborative community)」。これはポール・アドラー&チャールズ・ヘクシャーが提唱している考えだそうです。(ハーバード・ビジネスレビューで『協働する共同体』という記事が掲載されています)

この特徴は、「同僚間の開放的な対話によって形成される内省的信頼」
「組織的社会関係資本が閉鎖的な関係とそれによって蓄積される広範で弾力的な信頼をマネジメントの中心に置いたことに対し、協働的コミュニティでは同僚間の開放的な対話によって形成される内省的信頼をマネジメントの中心に置いたのである」(P91)

最初に書いた「開放的コミュニティ」の話はここから来ているのだと思いますが、この可能性はコーチングのワークショップや対話をベースにした研修をするなかで実感しますね。

このように、いろいろと刺激的な概念が出てきて、好奇心をかきたてられる本でした。

なお、最後にちょっと自分には痛い言葉も……

それは「『いざとなれば出て行く』という無邪気な個人主義」

自分がこれまで転職やいろいろな組織を離れてきた経験を振り返り、「これ、自分のこと?」と思いました。

この「『いざとなれば出て行く』という無邪気な個人主義」は、これまで日本企業を支えてきた「心情反射作用(『お互いの気持ちをわかりあう能力』)」に代わるものとして提示されています。

これも孫引きになりますが、
「おそらく日本社会は過去10年のどこかで回帰不能点を通過した。
この変化の最深部では、あの身体の『形而上学』をささえてきた身体感覚そのものが崩壊しはじめている。日本社会を200年以上にわたって支配してきた心情反射作用が、今やうすれつつある。『無邪気な個人主義』が浸透してきた結果、相手の感情に自動的に反応する能力をもたない個人が着実にふえてきているのである。」(P230 『近代・組織・資本主義――日本と西欧における近代の地平』(佐藤俊樹著 ミネルヴァ書房)P306)

著者は、「関わりあう職場のマネジメント」は、こういった「無邪気な個人主義」に駆逐されてきた心情反射作用や市民精神といったものを「新たな形で取り返す作業」と位置づけています。

最後になって、少々複雑な気分です。

自分自身の持っていた(持っている)『いざとなれば出て行く』という無邪気な個人主義」が、自分が願う「組織も個人もお互いを生かし合う」ことを阻害してきたのかもしれません……

ただ、私としては『いざとなれば出て行く』という無邪気な個人主義」も切り捨てずに、受け入れるところからスタートするとは思うのですが……。
| 宇都出雅巳 | ビジネス | 08:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
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