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あまりにも読みやすい淡々さが、オウム事件が他人事でないことを教えてくれる
私にとってオウムとは何だったのか
私にとってオウムとは何だったのか
早川 紀代秀, 川村 邦光

六本木ヒルズのライブラリで見かけて、ふと気になって読みました。

著者の一人である早川氏は、確かかなり強面の顔だった印象があります。ただ、本を読んでみると、その印象からはかなり違いました。

淡々としたトーンで、自らの生い立ち、オウム教団での日々、オウム真理教の教えが、とてもわかりやすく書かれています。

その淡々とした話の行き先が、あの事件であるのが、なんとも表現しがたいところです。

後半の3分の1ほどは、宗教学者の川村氏が、戦前の日本軍国主義、そしてその下での大本教弾圧など、宗教弾圧の歴史、それに対する宗教側の武力闘争、テロリズムを紹介しながら、オウム真理教について分析しています。

最後のほうで、『ゲド戦記機 ̄討箸寮錣ぁの次のような文章を引用しています。

そなた、考えてみたことはいっぺんもなかったのか? 光に影がつきものののように、力には危険がつきものだということを。魔法は楽しみや賞賛目当ての遊びではない。いいか、ようく考えるんだ。わしらが言うこと為すこと、それは必ずや、正か邪か、いずれかの結果を生まずにはおかん。ものを言うたり、したりする前には、それが払う代価をまえもって知っておくのだ!


川村氏は、この魔法を宗教と置き換え、

魔法/宗教はこの世と無縁の観念の世界だけに関わるものなのではない。この世に及ぼす力をもってかかわっているのだ。自分の言動に対する支払うべき代価、それはささやかな日常の生活倫理から判断されるのではなかろうか。


と述べています。

私はコーチングという人の心、そして行動にかかわる仕事をしています。コーチングの技術はとてもパワフルです。それは人に大きな影響を与えます。そして、それはその人の人生、そしてその人を取り巻く人々にも大きな影響を与えます。

コーチングがパワフルであるからこそ、『ゲド戦記』の言葉は覚えておきたいですし、オウム真理教のことも"違う世界・人”のことと考えないでいたいと思います。

そして、コーアクティブ・コーチングの基本である4つの礎の第一、
「クライアントはもともと完全な存在であり、自ら答えを見つける力を持っている」を本当に信じきることの大事さを感じます。こういう考えを持つコーチングを学び、伝える立場にありながらも、いったんコーチングやワークショップの場を離れると、この考えをついつい忘れている自分がいます。

ついつい自分の考えが正しく、他人の考えが間違っていると思っていたり、「この人はわかっていない」と相手の不完全さの部分に焦点を当てている自分がいます。

自分の考えに共感してくれたり、同意してくれる人がいると喜び、批判や反論されたりすると、がっかりしたりする自分もいます。われながら、まだまだ人を見る目が浅いと思います。

川村さんはこういうことも書いています。

獄中でリアルな日常をようやく回復した。「自己を滅し、グルの意思に従って行動しよう」とした出家者から、「自分のことは自分で決める」自分
へ、それは私は私の自由な決断に依拠して生きているということであろう。とするなら、他者に対しても、自分に対しても、意識的であれ非意識であれ、正も邪も、善きことも悪しきこともなすことができる存在であることを引き受けなければならないのである。


「引き受ける」という言葉が心にしみます。

本書に関して、脱洗脳で知られる苫米地英人さんは、ブログで批判しています。
「早川紀代秀、事実を明らかにせよ。洗脳は解けていない。」
こちらも併せてお読みください。



| 宇都出雅巳 | 宗教 | 16:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
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